2013/02/22

『シェフ!』

三ツ星レストランの舞台裏へようこそ



原題:Comme un chef
監督:ダニエル・コーエン
撮影:ロベール・フレス
2012年フランス・スペイン 85分カラー
出演:ジャン・レノ、ミカエル・ユーン、ラファエル・アゴゲ、サロメ・ステヴナン、ジュリアン・ボワッスリエ
2013.02.19 シネマQ ホール7にて
映画度:★★★★★/5*

この映画、映画度(説明はまだだけれど)を★★★★★の満点とした。やや甘い採点ではあるのだけれど、60年代、70年代ぐらいの伝統的フランス的コメディーそのものだったからだ。だから映画的に懐かしい。思い出すのは例えばフランスの喜劇俳優ルイ・ド・フュネス主演の«Le grand restaurant»(日本で劇場なりビデオ等で公開されているかどうか不明だが、「大レストラン」とでも訳せばよいか?)。この映画はパリのレストランを舞台とした作品だけれど、シトローエンのDS(車)でセーヌ川に落ちてしまい、でもワイパー動かしながらプカプカと川に浮かんで進んでいくといったあり得ないギャグ(?)が当たり前のごとく使われていて、ある意味これぞ映画というものだ(1966年作品)。

Le Grand restaurant (1966)

もっと最近の映画、と言ってもかなり古いが«Les ripoux»『フレンチ・コップス』(1984)とか、«Le dîner de cons»『奇人たちの晩餐会』(1998)も大きな意味では同じ系列のコメディーかも知れない。今挙げた3本の作品はこの『シェフ!』と比較するとかなり喜劇色は強いけれど、基本似たものを感じる。この『シェフ!』、製作の時期が違うから昔の映画と同じではないけれど、レストランのメニューとか食材とかをイメージに使ったシャレたタイトルロールで始まる。こういうタイトルロールは最近、あるようで良いのはあまりない。その画面を見ていたら60年代、70年代の娯楽作品を思い出した。そう、なんとなく懐かしい。そして映画の本編が始まる。


子供の頃から料理、あるいは料理のレシピが好きで、それを再現する能力はぴか一のジャッキー・ボノ。知識と能力のあるオタクだけれど、それゆえに料理に対して妥協を許すことができない。カフェや安食堂のコックに就職できても、うるさいことばかり言うのですぐにクビになってしまう。長続きする仕事がないから家計は火の車。そんなジャッキーが一緒に暮らすベアトリスが妊娠する。そんなわけでジャッキーはベアトリスの見つけてきたペンキ塗りの仕事をしばらくすることにする。


ジャッキーとベアトリスの、結婚はしていないけれど家庭を持っているようなフランス的関係について以下にちょっと長々と余談として書きたいので、関心のない方は飛ばして下さい。

⇩----------(ここから余談)----------⇩

フランスでも昔は「恋人⇒結婚⇒同居⇒出産」というのが順等というか、当たり前な男女関係ならびに家庭事情だった。それは今でももちろん存在するけれど、「恋人⇒同居⇒結婚」とか、「恋人⇒同居⇒妊娠⇒出産⇒結婚」、あるいは「恋人⇒同居⇒出産⇒そのまま結婚せずに家庭生活」なんてスタイルが珍しくないようになってきた。誤解のないように言っておくと二番目の「恋人⇒同居⇒妊娠⇒出産⇒結婚」というパターンにしても、「妊娠⇒結婚」の流れは日本で言うところの「出来ちゃった婚」というわけではなく、出産から結婚まで3年とか5年(それ以上)の間をおくことだってある。もちろんその前にカップル破綻というのもありだ。

日本ではどちらかというと若い女子に結婚願望が強いようだけれど、上に書いた色々なパターンの流れにおいてフランスでは正式な結婚に躊躇するのは女性の方が多いらしい。むかし(自分が子供の頃だから大昔!)日本で芸能人同士だったかが「契約結婚」をするとかなんとかというのを聞いたことがある。子供だからもちろん何のことだか良くはわからなかった。でも、男女がくっついて家庭を作り子供を育てるのは、社会的あるいは生物的「一つの事象」だとしても、結婚と言うのは元来が「契約」であるはずだ。

契約という概念はもともと日本には薄いけれど、フランスでは結婚というのはまさしく一つの契約であり、夫婦別財産制にするとかしないとか、家計の負担率は何対何にするとか、細部を決めて契約書にサインをする。もちろんこうした細部を特に定めなければデフォルトの結婚形式となる。日本では法の決めたこのデフォルトの結婚形式しかない。

フランスは個人主義の国だから、各自が自分をいちばん大切にする。ならば結婚という制度に縛られることは、幸せのための自分の自由を制限するものになりかねない。結婚してみたら夫が豹変し、酒乱の暴力夫になったとしても、離婚するのは容易ではないし多大なエネルギーを使う。でも正式に結婚していなければただ出て行くだけでことは済む(男がストーカーとしてつきまとうかどうかは別だけれど、妻でもなんでもないから男になんら権利はない)。もちろんこれには女性の経済的自立が必要だけれど。

そして制度的にも、もともとは同性のカップルに夫婦的な権利を法的に与えるのが制定の主目的だったけれど、PACS法というのが20世紀末に出来た。結婚はしないけれど互いにPACS契約を結べば法的にほとんど結婚と同じ権利が与えられる(日本ではゴクミとアレジが有名か)。ただし上の酒乱の夫の例ではないけれど、契約の解消は結婚と違い片方の意思でできるから、男が同意しなくても女は出ていける。

フランスはもともとが日本人が普通に考える以上に男性社会だったから、女性にとって結婚することは夫の所有下に身を置くというイメージ(あるいは実態)もあるのだろう。だからこそ正式の結婚への躊躇は女性の方に多いのかも知れない。またPACSなら配偶者の親族との関係もよりゆるいから気楽だ。そして結婚より親が反対しにくいから、親の反対があっても好きな相手と暮らして家庭を作ることもやりやすい。

若気の至りで長続きしない相手と結婚してしまい、3年、5年で離婚していわゆるバツイチとなる(親族とか周囲の人々も巻き込む)というのより良いのではないだろうか。まあ頭の固い日本の老人国会議員には理解すら出来ないだろうけれど(特に同性カップルのことなんて)。でもこういう制度を制定し、シングルマザー・シングルファザーに対する制度や施設や経済的補助策を講じ、それを社会が容認するようになれば、女を「出産機械」とか言って顰蹙を買っているよりも、合計特殊出生率は向上するのではないだろうか。高齢化社会の問題の改善に必要なのは、結婚という制度ではなくって、合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に生む子供の数)を増やすことでしょうに!。

⇧----------(ここまで余談)----------⇧

映画のことから脱線して余談の余談になってしまったけれど、映画『シェフ!』に話を戻せば、ジャッキーとベアトリスは愛し合っていて、ベアトリスは妊娠もしている。でもベアトリスは、もしジャッキーをパートナー(あるいは夫)として一緒に暮らしていけると思わなければ、即関係解消で出て行ってしまう。こういう関係っていうのは、結婚をしてしまって互いに夫・妻という座に安住するカップル生活よりも、日々二人の関係を良いものとしようという意志が働くからより建設的だ。ベアトリスは産休に入り、子供が出来る。だから家計をとりあえず安定させたい。厨房の仕事をさせては長続きしないからベアトリスは異業種の仕事をジャッキーにみつけ、ジャッキーも不本意だろうペンキ塗りの仕事を始めることになる。


ペンキ塗りというのはビル、と言っても伝統的パリの建物だけれど、その何百枚もの窓枠のペンキを塗り直すことだった。ところがどっこい、その建物に入っている(高級)老人施設の厨房の窓枠も塗ることに。ジャッキーは中の様子を覗いて、素材の間違った調理法を目撃する。当然黙って見てはいられない。窓をノックして中に入れてもらい、調理を始めてしまう。やがて3人のコックとも仲良くなり、また彼の料理も入所者たちに気に入られる。それがきっかけとなり、偶然に偶然が重なってパリの三ツ星高級レストラン、カルゴ・ラガルドの料理長アレクサンドルに補佐役として雇われる。


アレクサンドルは有名・有能な料理人で何年もレストランの三ツ星を維持してきた。彼の料理は伝統的なフランス料理で革新性がない。でも昨今は液体窒素などまで使った「分子料理法」がブームだ。分子料理法というと先日見た映画に『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』というのがあった(分子料理法とかエル・ブリのことが知りたい方は同映画の予告編を見ていただきたい)。レストラン・ラガルドはアレクサンドルとも仲の良い先代ポールが息子スタニスラフに経営を譲っていた。このスタニスラフは伝統料理しかできないアレクサンドルを解雇したい。そして契約に「星を失ったら解雇できる」という条項をみつける。そして近々星の認定のために秘密調査員がレストランにくること、そしてその調査員が伝統料理より分子料理を好んでいることをアレクサンドルに告げ、星を失ったら解雇すると迫る。そんな窮地にアレクサンドルが見つけたのがジャッキーだった。


ラガルドという高級レストランで、しかも尊敬する(特に過去の名レシピを)シェフ・アレクサンドルの補佐ができる。ジャッキーは研修期間は無報酬のこの仕事についてしまう。もちろんベアトリスには内緒だけれど、やがてバレてしまい、嘘をつかれることを最も許せないベアトリスは「もう終わりよ」と言ってジャッキーのもとを去ってしまう。


まあ、そんなこんなで、ハッピーエンドに向けてコメディーは続いていくわけだけれど、エル・ブリの料理長フェランはスペイン人だから分子料理をおちょくって奇妙なスペイン人分子料理調理人を登場させたり、顔の知られたアレクサンドルが分子料理の敵陣視察のためにジャッキーと2人でキモノを着てメークをして日本人夫婦に化けてレストランに行ったりと、ドタバタとしたギャグ的シーンが連続する。ややネタバレになるけれど、意地悪役だったスタニスラフが父親に厨房見習いに格下げされるラストとか、ばかばかしいと言ってしまえばその通りだけれど、これぞフランス伝統コメディーだ。そこにアレクサンドルと娘アマンディーヌの父娘関係、アレクサンドルの新しい恋の予感、そしてもちろんジャッキーとベアトリスの愛情関係、そういう人間ドラマが背景に(こちらはギャグ的ではない)置かれて描かれているのもフランス的だ。


まあそんなわけで、85分という小粒な映画。伝統的なフランス・コメディーが今も生きていることを知って、嬉しい作品だった。笑いの種類がイギリスとも、アメリカとも、日本映画とも微妙に違うのは当たり前だけれど、是非ご覧を。





*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。



2013.02.22   
ラッコのチャーリー

0 件のコメント: