監督・撮影:小谷忠典
出演:佐野洋子、渡辺真起子、フォン・イェン
2012日本 91分カラー
2013.03.04 桜坂劇場ホールCにて
いうなれば、作品がダブル・マスターベーションの世界で、観客はこの映画を観ながら3番目のマスターベーションを出来るかどうか?、がポイントではないだろうか。
こんなことを冒頭から書くのには実は理由がある。この作品は見ないつもりでいたのだけれど、劇場のS嬢が「映像は奇麗らしいのだけれど、男の観客が怒ってしまう作品らしい。それも無料の試写会で。」と言うのを聞いて、ではどんなものなのか見てみようではないかと思ったのだ。
いくつかの観客レビューを見ていたら、タイトルにはわざわざ「ドキュメンタリー映画」とあることに対する不満もあったが、それは単にこの作品が絵本「100万回生きたねこ」の映画版ではないということを明確にするためと解釈しても良いだろう。レビューの中には、もっと絵本「100万回…」やその著者・佐野洋子についてのドキュメンタリーにして欲しかったというのもあった。しかしドキュメンタリーのあり方としてはこのようなのもアリだろう。だいたいが客観的なドキュメンタリーなどあり得ないのだから。
問題はだから小谷忠典がこの絵本を題材に表現した内容そのものにある。たしかにこの作品は絵本の内容や著者を追っているところもあるけれど、絵本とは直接関係のなさそうな人(茶摘みをしていた農家の女性とか)や、絵本の読者の中でもひと掴みの特異な女性たちを意図的に選んでいる。この絵本が世界的ベストセラーであることは事実だけれど、大多数のすべての読者は決してここで紹介された女性たちのような人々ではない。
では特異な読者とは何者か。それは例えば少女時代に親に存在を否定され、鬱病になり、リストカットをしてきたような女性だ。その女性の不幸な人生や精神のあり方に対してボクは何の文句をつけるつもりもない。しかし絵本「100万回…」に無理に結びつけることでそういう女性たちを描こうというのが小谷監督の目的になっている。そして暗闇の中、リストカットの痕がマッチの明かりで照らされるのを写すといった美しい映像を使う。それは彼女たちの一種のマスターベーションに感じられる。
そしてそういう彼女たちにさも共感・同情している自分を表現することで、今度は2番目小谷忠典のマスターベーションを見せつけられる。渡辺真起子を登場させ北京に行かせる演出でそれを押し進める。だから観客はそこに浸って第3番目のマスターベーションができればこの映画を堪能できる。けれどこの女性たちや監督のあり方は、むしろ絵本の著者佐野洋子の語りの内容からやや遊離しているようにも感じられる。やって欲しかったことはもっとポジティブなこと、前向きに生きようとするあり方だ。最後の方にバレエを踊る少女を登場させ、さも前向きなような姿勢を示しているかのようであるけれど、全体の印象はそうではなくもっとネガティブに見えてしまう。
2013.03.04
ラッコのチャーリー
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