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原題:About Cherry
監督:スティーヴン・エリオット
Stephen Elliott
撮影:ダーレン・ジェネット
2012 USA color102min
出演:アシュレイ・ヒンショウ、ジェームズ・フランコ、ヘザー・グラハム、デヴ・パテル
Ashley Hinshaw, James Franco, Heather Graham, Dev Patel
2013.03.09 桜坂劇場ホールCにて
溝口健二の『夜の女たち』が1948年で『赤線地帯』は1956年。2作は戦後3年と11年のものだが、病気の子供をかかえながら戦争から復員しない夫を待つ妻であったり、結核で仕事のできない夫と赤ん坊を持つ女、疑獄事件の父の保釈金を得るために娼婦になった娘、息子の学費のために秘密で身を売る女であったりと、戦後の貧困や女を蔑む男社会の物語だった。
雑誌のインタビューで好きな監督3人を訊かれて「溝口と溝口と溝口」と答えたこともあるゴダールの『女と男のいる舗道』は1962年。変な言い方ながら白くなる前の黒いパリでの物語。ド・ゴール政権で文化大臣だったマルローはパリの建物の洗浄計画を60年代に実施した。主要燃料が石炭だったので石造りのパリの建物は(凱旋門やノートルダムも)煤で黒ずんでいた。19世紀末・20世紀初めの写真を見ると煙突からは黒い煙が吐き出され、パリの空は黒いスモッグに覆われている。
そう1968年は五月革命の年。ちょうどこの1968年を境として、フランスでは社会的・文化的・政治的変化があり、イメージとしても白く明るいパリの街並みとなった(白いと言ってももちろん文字通りのホワイトではなく石材の淡いベージュ色)。フランスがアルジェリアの独立を承認したのが1962年。1964年の『シェルブールの雨傘』はその前後の推移を描写してもいる。『女と男のいる舗道』はこの転換点の前のフランスであり、やはり戦後の時代と言うことができるだろう。意に沿わぬ結婚生活から逃れてパリに出てきたナナ(アンナ・カリーナ)はアパートの家賃すらままならぬ生活から、娼婦へと身を落としていく。
20世紀末から映画のテーマとなるのは少し違った状況だ。ダルデンヌ兄弟の作品がやたらとカンヌで賞を取っていることでもわかるが、一つの流行りのテーマは家族崩壊というか、親に見捨てられた子供の物語。戦後と比べれば全体的には豊かにはなったが、社会的エリートと非エリートの、資産家と無産家の、資本家と労働者の、経済的格差は広がる一方だということも背景にある(親の側にとっても)。そんな社会で飲んだくれのアル中の母を持ち、荒れた家庭に縛られている娘がこの映画のアンジェリーナだ。洗濯店での肉体労働の仕事はあるものの安月給だし、それも多くを母親に搾取されてしまう。この先もこのままの状態を続ける人生に希望は持てない。
しかしアンジェリーナは美しい顔と体を持っていた。ひょんなことから住んでいる地元の小さな町でネットの有料サイトのヌードモデルをすることになる。そしてそれで稼いだお金を持って家出。彼女にとっては恋愛対象ではない男性の友人と大都会サンフランシスコに行く。最初はバーのウェイトレスなどをしているが、やがて大都会のメジャー有料サイトで動画のモデルとなり、AV女優となり、成功していく。平行して描かれるのは最初のバーの仕事のときに知り合った男性(もともと資産家でエリート階級の出)との恋物語だけれど、ラスト近くの彼のセリフは男が「性の商品化された女性」の需要者でありながらそうした女性を蔑視するという男本位社会を示している。また途中わざわざアンジェリーナの働くAVサイトの経営での女性たちの搾取を暗示する場面が描かれていた。
ゴダールの映画のスティル写真でも有名なのは文字中心のポスターが多数貼られた壁の前で娼婦アンナ・カリーナがタバコを吸っているもの。この映画の中で「CAPITALISM IS OVER! IF YOU WANT IT(あなたが望めば資本主義は終わる)」というジョン・レノンを文字ったコピーによる運動のポスターの前を闊歩するアンジェリーナの姿があった。このコピーの内容自体がゴダールにもつながるし、文字ポスターの前の女性主人公ということで映像的にゴダールを連想させる。また主人公が外出の約束をドタキャンするとき男友だちに言うちょっと妙なセリフがある。「じゃあ明日にして、映画に行ってもいいし、アンナ・カレーニナの、カレーニナでいいんだっけ?、の話をしてもいいし。」というもの。なんで唐突にアンナ・カレーニナなのか。考えてみればこれはアンナ・カリーナへの暗示なのだ。つまりはゴダールへの言及とみることができる。
この映画は傑作でも名作でもなく、凡作・駄作と評価する人もいるだろう。アンジェリーナは生活のために娼婦に身を堕とすわけではなく、ヌードモデル、AV女優、そして監督となっていく。最初は特に明確な意志があったとは言えないかも知れないが、自分の持てるものをもとにこの世界で生きていく。いわば21世紀アメリカ・バージョン、あるいはスティーヴン・エリオット流『Vivre sa vie(女と男のいる舗道)』(=与えられた自分の人生を生きる)ではないだろうか。自分としてはけっこう好きな作品だ。ちなみに過去に見た映画で2002年のフランス映画・オリヴィエ・ダアン監督『いつか、きっと』もやはり一種の『Vivre sa vie』で、その意味ではオススメだ。
映画度:★★★/5*
*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。
2013.03.19
ラッコのチャーリー
Angelina, 18 ans, vie avec sa mère alcoolique dans une petite ville. Elle est intelligente et belle, et elle a une certaine conviction en elle-même. Mais toutefois elle travaille dans une laverie automatique, dont le revenu bas et sans doute exploité par sa mère. Par hasard elle pose nue pour des photos d'un site internet. Avec l'argent qu'elle en a eu, elle quitte la ville pour partir à San Francisco. Là tout d'abord une serveuse de bar, et commence l'actrice de porno avec succès. A la fin elle en devient même la réalisatrice.
Dans le film il y avait deux scènes qui ont attiré mon attention. D'abord c'est la scène où Angelina marche devant une grande affiche CAPITALISM, IS OVER IF YOU WANT IT. L'héroïne devant une affiche des lettres sur le mur m'a fait me souvenir du film de Godard. D'ailleurs la phrase écrite (c'est une parodie de John Lennon mais aussi) pas étrangère à JLG. La deuxième c'est le dialogue d'Angelina. Elle dit à son copain: on pourra aller au cinéma ou parler d'Anna Karenina (Karénine), c'était bien Karenina, non? Pourquoi brusquement Anna Karenina, ici? Oui, sûrement une allusion à Anna Karina. Ces deux points sont une référence à Vivre sa vie de Godard.
Malgré les mauvaises conditions familiales avec sa mère alcoolique et malgré dans cette société d'inégalité de richesse et de machisme où celui qui achète et consomme le porno méprise les femmes qui le fourni, Angelina vit avec tout ce qu'elle a. On peu considérer ce film comme une version à l'Américaine de Vivre sa vie de nos jours du réalisateur Stephen Elliott. Certes ce n'est pas du tout un chef-d'œuvre mais quand même je l'apprécie.
(écrit par racquo)
(Les étoiles indiquées en haut ne signifient pas mon appréciation du film, mais à quel point, à quel degré le film a le caractère ou attrait cinématographique et non télévisuel.)
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