2013/03/17

『わたしたちの宣戦布告』La guerre est déclarée



Une brève critique en français au bas de la page.



原題:La guerre est déclarée
監督:ヴァレリー・ドンゼッリ
Valérie Donzelli
脚本:ヴァレリー・ドンゼッリ、ジェレミー・エルカイム
Valérie Donzelli, Jérémie Elkaïm
撮影:セバスティアン・ビュッシュマン
2011 France color100min
出演:ヴァレリー・ドンゼッリ、ジェレミー・エルカイム、ガブリエル・エルカイム
Valérie Donzelli, Jérémie Elkaïm, Gabriel Elkaïm
2013.03.14 桜坂劇場ホールBにて
映画度:★★★★/5*

映画ファンと言っても色々なタイプの人がいる。そんな中でも映画の理論や技法などに強い関心を持ったタイプがいて、たぶん自分もそこに属するのだけれど、そういう人となら何時間でも語り、議論が出来るテーマに「映画とは何か?」とか「(劇)映画のドキュメンタリー性」とか「役者の演技論」とかいうのがある。この『わたしたちの宣戦布告』は、ただ映画の語りに素直に従って物語られることを楽しむことができる映画だし、そうした映画としてもとても良作なのだけれど、こうした議論のネタとしても実に興味深い。


若いカップルの幼い息子が悪性の脳腫瘍であることがわかり、子供の難病をなんとか治そうという若い父と母ふたりの奮闘の物語なのだけれど、その若いカップルとは監督・ヴァレリー・ドンゼッリとそのパートナーであったジェレミー・エルカイムがモデルであり、そのふたりで脚本を書き、それぞれの役をそのふたりが演じている。5年後の現在時として登場する息子の役を演じているのは、他ならぬふたりの実の息子、脳腫瘍だったガブリエル・エルカイムである。


とは言っても映画は映画。ドキュメンタリーでも再現フィルムでもない。設定自体母はヴァレリーではなくジュリエット、父はジェレミーではなくロメオ、つまりロミオとジュリエット。息子はガブリエルではなくアダム(フランス語発音ではアダン)だし、ロメオとジュリエットの職業はヴァレリーやジェレミーのような映画人ではない。映画の中でロメオは新聞の今日の星占いの魚座のところをジュリエットに読んで聞かせるシーンがあるけれど、映画ではなくリアルのヴァレリー・ドンゼッリは3月2日生まれの魚座だ。制作者(ヴァレリーやジェレミー)がこういう現実と仮構を操っているのはもちろん意図的だろう。


「役になり切る」という言い方がある。ここで短文での説明では誤解の恐れはあるけれど敢えて書くと、役者の演技というのは「役を介して自分を表出、表現、そして解放する」ものだと思っている。「役になる」のではなく「役を利用」していると言った方が良いだろう。だから役(その背景にあるストーリー)を介して自分をさらけ出しているのが演技だから、劇映画というのも実はそういう役者の様子を撮影しているドキュメンタリーだ。そしてこの物語で言えば子供の難病との戦いを経験したリアル・カップル(ヴァレリーやジェレミー)にとっては、映画を作り、またその中で演じることはカタルシスでもあるはずだ。(この辺の演技論、映画論に関しては、今書きかけの「映画度」で論じるつもりでいる。)


まあそんなややこしいことは抜きにしてこの映画は良い。スタンスとバランスが良い。例えばこの手の映画では手術シーン等が描かれることが多いけれど、ここではそれがほとんどない。病気の息子の母と父との物語なのだし、リアルのヴァレリーとジェレミーは待合室など別の場所で9時間の手術が終わるのを待っていたはずだ。これは彼らふたりの物語であって、息子アダン(なりガブリエル)の物語ではない。そしてこのカップルを軸にして周囲の人たち、親類(息子も)・友人・医師・看護人と彼らふたりの関係、絆の物語なのである。言うなれば不幸な出来事、と言っても描写自体はわざと重たくならにように作られているが、そんな「不幸な出来事を通しての生や絆の賛歌」になっている。そこがこの作品の力であり、美しさでもある。


映画の作りに関してもかなり映画的だ。ある意味単純なストーリーだから、わざわざ逐一会話を聞かせなくともその場面での話の内容は想像できる。検査結果が脳腫瘍だとわかったとき、ジュリエットがロメオに電話して伝える内容、あるいは親族の一人から別の一人に知らせる電話の内容、こうしたことは聞かずともわかる。だから音声は音楽をのみにする。つまり映像だけを見せるサイレント的ものとなる。映画を見ながら途中ちょっと思い出したのはルルーシュの『男と女』だった。音楽はフランシス・レイではなくここではヴィヴァルディその他だけれど、その使い方がかなり巧みだ。そしたら映画の最後の最後の場面はルルーシュの『男と女』の海岸のシーンを引用した作りだった。ジェレミー・エルカイムはかなりのシネフィルらしい。


ちなみに監督のヴァレリー・ドンゼッリはこれまで自分にとっては『待つ女』や『マルタ…、マルタ』に出演していた印象深い女優さんだった。どちらの作品もかなりの良作なので機会があればご覧のほどを…。




*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。




2013.03.17   
ラッコのチャーリー



Un beau et puissant hymne à la vie, l'amitié, aux relations entre les gens. Le caractère du film un peu rare; Valérie Donzelli et Jérémie Elkaïm ont adapté leur histoire vécue à un scénario, ils en ont joué les rôles eux-mêmes, et elle l'a dirigé. Faire un film, jouer un rôle, c'est quelque chose de s'exprimer ou s'exposer et aussi de se libérer, pour un réalisateur ou un acteur. C'est pourquoi tout film est un documentaire des acteurs qui jouent. Les scènes réussites avec seulement la musique comme le son (Vivaldi par exemple), c'est de faire voir l'image, c'est de raconter par image comme les films muets, m'ont fait penser à Claude Lelouch, alors à la fin (avec leur vrai fils Gabriel Elkaïm) c'était la scène de la plage d'Un homme et une femme.

(écrit par racquo)

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