Il y a une brève critique en français au bas de la page.
原題:Jutro będzie lepiej
English title: Tomorrow Will Be Better
監督・脚本:ドロタ・ケンジェジャフスカ
Réalisation et scénario: Dorota Kędzierzawska
撮影:アルトゥル・ラインハルト
Image: Arthur Reinhart
2010 Pologne/Japon couleur 118min
出演:オレグ・ルィバ、エウゲヌィ・ルィバ、アフメド・サルダロフ、スタニスワフ・ソイカ、アレクサンドラ・ビッレヴィチ、キンガ・ヴァレンキェヴィチ
Avec: Oleg Ryba, Evgeny Ryba, Akhmed Sardalov, Stanislaw Soyka, Aleksandra Billewicz, Kinga Walenkiewicz
2013.03.20 桜坂劇場ホールBにて
この映画、観ているときはそれなりに見せてくれた。それは。少年たちが越境に成功するかどうかというサスペンスがまずあり、そして3人の子役たちが、その演技が、魅力的だからだ。特に最年少6歳だかのペチャ役の子は、お茶目で愛らしいし、見ていて心地が良い。でも映画が終わったとき、そして後で映画について考えたとき、少々汚い表現を使わせていただくが、実に胸くそ悪いのだ。その辺のことを書かせていただきたい。
この映画は、ロシアの貧しい(?)地域の鉄道の駅に隠れて寝泊まりし、ちょっとした窃盗や物乞いで暮らす、孤児で浮浪児リャパ11歳、ヴァーシャ10歳、ペチャ6歳(ヴァーシャとペチャは兄弟)の物語。そんな彼らがより良い生活環境を夢みてポーランドに密入国しようというロードムービーだ。鉄道線路を伝ってポーランドを目指すという設定は、映画の内容はまったく違うものの、『スタンド・バイ・ミー』が下敷きになっていそうだ。でもこちらの設定はもっと深刻。
そんな映画だから、ロシアに於ける浮浪児の存在とか、ロシアとポーランドの社会の違いが気になる。ところがこの映画を見始めてまず戸惑ったのは時代設定はいつなのかな?という疑問。終戦直後とかまで古い話ではないらしいとはわかるけれど、いったいいつ頃なのか?。ロシア(ソ連?)の駅舎に住む孤児3人がポーランド目指して越境するという物語だから、ロシアやポーランドの関係・政治情勢がどうなっている時代で、何故に少年たちがポーランドへの越境を望んだのか、そういうことがどうしても気になってしまう。でもその何故については映画はほぼ何も語らない。やがてペットボトルが出てきたので、これが一つの時代指標となる。ペットボトルが普及し始めたのは、少なくとも日本では1980年代。そして映画後半になって携帯電話が登場。アップで写ることはないが、機種の雰囲気からほぼ現代の物語であることがわかった。
物語をエピソードを箇条書きするようなスタイルで書いてみる。貨物列車に隠れて乗って国境に近い町まで向かう3人。途中単線のすれ違いのための駅での停車中に、ヴァーシャは駅舎の窓の中に母親が赤ん坊を抱き、頬に優しくキスするのをかいま見る。親の愛を知らぬ弟を不憫に思ったのかヴァーシャはその真似をして眠ったペチャにキスをする。国境近くの町の市場でペチャが母性本能をくすぐる愛らしさを使って食べ物をもらう。田舎に住むヴァーシャの知り合いの炭焼きか何かをしている老人を訪問し、一夜の宿を得る。足手まといな幼いペチャを老人に預けていこうとするがペチャが気づき失敗。ペチャもポーランドへの旅を続けることになる。老人のところに配送に来たトラックの荷台に乗せてもらうが、町で検問。幸い3人は既に下車していた。結婚式の一行に出会い、リャパとヴァーシャは酒を飲み、ペチャは花嫁からコインをもらいきっと幸せにになれると言われる。国境の電流の流れた有刺鉄線の下をくぐるための匍匐前進の練習をする3人。道にバイクの音を聞いた3人は隠れるが、それは男女の逢瀬で若い男と女が茂みで抱き合っていた。偵察に行ったヴァーシャだけがその覗きを独占する。いよいよ深夜に越境決行。鉄線の下の土を空き缶で掘り、下にスペースを作って腹這いで国境を超えようとする。
この先はどうしてもネタバレになってしまう。と言っても越境が成功するか失敗するかということを書いてしまうということだけだが、ネタバレ部分は赤い<>にはさみ、一応薄い文字色にして目に入りにくくしておくことにする。選択・反転して読んでいただきたい。<3人は越境に成功する。晴れた広い野原を嬉しそうに走り回る3人。やがて3人はポーランド側の国境近くの小さな町にやってくる。怪訝そうに出迎えるのは子供たち。ロシア語とポーランド語。言葉も通じないし、決して歓迎されている雰囲気ではない。歴史的に考えても(ポーランド分割、カティンの森、ワルシャワ蜂起、戦後の共産支配、etc…)ロシア人は決して好かれてはいないのかも知れない。警察署の場所をなんとか聞きつけた3人はそこに保護を求めて出頭する。処理に窮する警察官。最初は面倒な一件だと思うが、やがて彼ら3人に情もうつり、強制送還以外の解決策はないか電話で問い合わせる。シャワーを浴びさせられる3人。世話をするのは受付係の若い女性ララ。彼女が見ているので恥ずかしがって服を脱ごうとしない3人。3人は事情を察して逃げようとするが見つかり、車で強制送還者が一時的に入れられる収容所へ送られる。窓からその様子を見る警察官は哀しげだ。車中で涙を流す3人。しかし笑顔と笑いを取り戻し、明るく未来へ生きていこうとする姿。>
まあざっとこんなお話なのだけれど、何故これにむかついたのだろう。<それは決してこの物語が単純なハッピーエンドでない>からではない。だいたいこうしたロシアに於ける浮浪孤児は存在するのだろうか。もちろん映画というのは作り話で、絵空事。しかしここでボクが感じるのは、いたいけな、純真な子供という存在を利用して、話のための話、映画を観る大人が喜ぶだろうものをただ作っているだけだということだ。そのどこが悪いか?。主演の3人の子役は映画に出て演じているだけで、もちろんリャパ・ヴァーシャ・ペチャという3人の登場人物は架空の存在で実在はしない。しかし存在しないながらもその彼らに決死の越境をお膳立てし、<努力した末にそれを結局失敗させるのは>この3人の子供を弄んでいるだけのように感じてしまう。妙なたとえをさせていただくなら、これは一種のポルノ映画なのだ。男が見て喜ぶだろう女を描く。それは女性という存在を快楽のために弄んでいることにはならないのか?。
他の子供映画だって、例えば『スタンド・バイ・ミー』だってそうではないか?、と言われる方もいるだろう。しかしここでの少年たちは映画を観ている我々(あるいはその子供なり、子供時代なり)と等身大だ。しかしこの『明日の空の向こうに』は違う。あきらかに映画を観る観客はずっとずっと安全な場所にいる。ならば見方を変えて、この映画はロシアに存在する(あるいはもっと一般的に存在する)孤児や貧困、その対処などの問題提起になっているかというと、そうはなっていない。3人の何故や時代設定だってかなりあやふやなまま。ただただ大人が見たい「明るく未来に向かって生きていく子供」の姿を見せるだけなのだ。実際に存在するかも知れない問題はそっちのけなのである。だから子供という存在を弄んでいるだけに見えてしまい、いやな気分になってしまったのだと思う。
映画度:★★★/5*
*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。
2013.03.23
ラッコのチャーリー
L' histoire de trois garçon de 11, 10 et 6 ans, orphelins et vivant dans une gare ferroviaire de quelque part en Russie qui tentent de franchir la frontière pour aller en Pologne, où ils pensent trouver une vie meilleure. Pendant la projection du film, c'était bien agréable de voir le jeu de ces trois enfants et une jolie image de Arthur Reinhart. Cependant le film fini, j'en était vexé. Désagréable, irritant, dégoûtant même. Pourquoi? Ce n'est pas parce qu' il n'y ait pas un miracle avec une fin heureuse. Ce n'est pas ça. La réalisatrice (et aussi scénariste) Dorota Kędzierzawska donne de l'espérance, prépare une aventure au risque de leur vie et à la fin elle donne la déception à ces trois enfants, pour le seul but de faire voir aux spectateurs adultes en quelque sorte l'enfant qui n'abandonne pas l'espoir et vit avec le sourire voyant le futur. On peut dire que c'est la même que le porno, c'est à dire faire voir ce que les spectateurs veulent voir, en abusant les enfants. Sans une aucune critique sociale de soulever le problème des enfants.
(écrit par racquo)
(Les étoiles indiquées en haut ne signifient pas mon appréciation du film, mais à quel point, à quel degré le film a le caractère ou attrait cinématographique et non télévisuel.)