2013/08/06

『桜並木の満開の下に』



Titre anglais:Cold Bloom
脚本・監督・編集:船橋淳
Écrit, réalisé et monté par Atsushi Funahashi
撮影:古谷幸一
Prise de vue:Kôichi Furuya
2012 Japon / color 119min
出演:臼田あさ美、三浦貴大、高橋洋
Avec:Asami Usuda, Takahiro Miura, Yô Takahashi
2013.08.04 桜坂劇場ホールBにて

桜坂劇場には毎日のように通っているので大抵の作品は本編を観る前に予告編を見ているし、チラシにも目を通しているのだけれど、この作品は珍しくほとんど前情報なしで観た。前もって知っていたのは桜坂劇場の会報 FunC にあった短い紹介文のみ。下に引用する。


理不尽な運命に翻弄される男女の物語:震災後の茨城県日立市を舞台に、突然の事故で最愛の夫を失いながらも、それを乗り越えようとするヒロインの心の葛藤を美しい桜並木を背景に描いたラブストーリー。小さな町工場で働く栞(シオリ)は結婚したばかりの同僚、研次との幸福な生活を夢見ていた。ある日、作業中の事故で研次が亡くなり、栞の生活は一変。栞は事故を起こした若い工員・工(タクミ)の謝罪を受け入れられない。だが、事故で経営的な危機に陥った工場を立て直すべく必死に働く工の姿を見て、栞の心は和らぎ始める(名前の読みは引用者が付加)。

自分流にこの紹介文を書き換えてみたい。

常識に囚われ過ぎることで翻弄される男女の物語:震災後の茨城県日立市を舞台に、突然の事故で愛する夫を失い、それを乗り越えようとするヒロインの心の葛藤を美しい桜並木を背景に描いたメロドラマ。小さな町工場で働く栞は同僚・研次と結婚して2年。幸せに暮らしていた。ある日、作業中の事故で研次が亡くなり、栞の生活は一変。栞は大きな罪はないものの事故の直接の引き金となってしまった若い工員・工の謝罪を受け入れようとしない。だが、事故で経営的な危機に陥った工場を立て直すべく必死に働く工の姿を見て、いつしか栞は工を愛するようになる。


見終わって気になって、家に帰って調べたのだけれど、チラシにも公式サイトにも触れられてないことがあった(もちろん見落としでなければ)。それはこの物語が、背景こそ変えられてはいるものの、1967年成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』そのままだということだ。これは隠れリメイク作品だったのだ。(1)夫の殺害者、と言ってもその人には罪はない男性(裁判で無罪とか)と相互恋愛感情を持つに至るヒロイン(旧作では加山雄三と司葉子)。(2)夫の理不尽な親によってヒロインが除籍されること。しかしながら現在の戸籍法には家制度はないので、新作ではこの点がやや理解に苦しむ。旧姓で新戸籍を作らされたか、元の親の戸籍に戻らされたという理解で良いのだろうか?。(3)ちなみに旧作では妊娠していたヒロインは中絶をするが、新作ではそろそろ子供を作ろうかということで、どちらも子供はいない。(4)加害者男性と被害者女性の禁断の(?)恋愛が成就するかも知れないという場面で、夫の死を彷彿させる事故現場に二人は遭遇する(交通事故やドラム缶事故)。(5)旧作で重要な役割を演じた鉄道の踏切が、新作でもちょっとだけ描かれる。その他内容ではなく描写の仕方も、夫の事故の場面は描かずに直接葬儀の場面に移る点など、実に似通っている。


40年以上前の日本を舞台としていることもあり、成瀬巳喜男の手にかかるとこの悲恋メロドラマも、特に最後の方の秀逸な心理描写により説得力を持つものとなった。しかしそのメロドラマを下敷きにして、2010年代、震災後の復興、不況、外国人労働者(中国人)、サービス残業、そういったものを背景として映画を作ろうとしたこと自体に無理があったのではないだろうか。


自分はこの作品の底にある、あるいはこの物語が前提とする考え方が大嫌いだ。映画の中で妻・栞に賠償金を払うのは事故の起きた取引先企業だ。安全を無視してドラム缶を積み上げ放置していたことが事故の原因だからだ。なのに栞が工を許すとか許さないとか、お門違いなことを平気で描く。もちろん栞の心情は十二分に理解は出来るけれど、それは栞が自分の中で処理すべき問題であって、それを工に転嫁すること自体がおかしなことなはずだ。もちろんそれは裏返しで工についても言える。自分が偶然にも直接の引き金となってしまった心情は理解出来るが、これも工が自分の中で処理すべき問題であって、栞に許しを乞うこと自体がおかしいのだ。謝罪に関連することはこのブログの他の記事でも書いているけれど、まず謝罪が必要だという発想そのものがおかしいのであり、それを当然の発想として助長するような映画は迷惑だ。そのような発想法を常識として日本人が持っていることが事実だとしても、それは変えていくべきことなはずなのだ。


そんな許すとか許さないとかいった話は別として、この映画で描かれた後半の栞、あるいはその演技では、栞の心はもう完全に工への愛に捕らえられている。だからその後の展開に説得力がない。最後の方での海の場面であれ、旅館での場面であれ、また類似事故に接したときでさえ、あるいは駅のホームであれ、工が無理矢理にでも栞をきつく抱きしめてしまえば話は終わり。そういうお話だ。だから別の言い方をすれば、腫れ物に触るがごとくおどおどしているだけで、女の心の機微を解さない不甲斐ない工ゆえに幸福を取り逃したカップルの物語と言えるのかも知れない。

映画度:★★/5*

*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。



2013.08.06   
ラッコのチャーリー



2013/08/05

『嘆きのピエタ』Pieta


Une brève critique en français au bas de la page.


原題 Titre original:피에타
Titre français et anglais:Pieta (Pietà)
脚本・監督・編集:キム・ギドク
Écrit, réalisé et monté par Kim Ki-duk (김기덕)
撮影:チョ・ヨンジク
Prise de vue:Cho Yeong-jik (조영직)
2012 South Korea / color 104min (ratio 1,85)
出演:チョ・ミンス、イ・ジョンジン、ウ・ギホン、カン・ウンジン、クォン・セイン
Avec:Jo Min-soo, Lee Jung-jin, Woo Gi-hong, Kang Eun-jin, Kwon Se-in
조민수, 이정진, 우기홍, 강은진, 권세인
2013.07.31 桜坂劇場ホールAにて

キム・ギドクの映画は嫌いではない。『鰐』から『悲夢』まで15本すべてを見ている。セルフ・ドキュメンタリー『アリラン』も見た。この『嘆きのピエタ』は2012年のMostraでは金獅子賞も取り、前評判も良かった。でも自分の見たKKDの16本の劇映画の中ではいちばんつまらなかった。『悲夢』よりもつまらないかも知れない。ただの、普通の、やや良くできた、と言った程度の作品だ。二十代の新人監督や、せいぜい三十代の監督の二作目、三作目の作品ならば、注目するべき才能として評価もしよう。扱われている世界や、主人公や、ストーリー等…が、一見特異でオリジナリティーがあるように見えるけれど、実はもの凄く陳腐で、常識的なのだ。


天涯孤独で親の顔も知らぬガンドのもとへ彼を捨てた母親だという女ミソンが現れる。最初は拒絶するガンドだけれど、やがて受け入れ、ガンドにとってかけがえのない母親となっていく。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、ミソンに「どうしてこんなに悲しいの?」と言わしめ、涙を流させるに至る設定はなかなか面白い。そのガンドとミソンを演じた2人の役者の演技もなかなか秀逸かも知れない。しかしそれを映画全体の中で生かし切れていない。全体のレベルはちょっと良く出来た土曜サスペンスドラマ。お金に関するお説教じみた講釈や、社会の変化に取り残された零細小工場経営者の貧困、社会の不正義、それと関連した都市化の問題、それらが嘘だとは言わないけれど、何の新しさもなければ、考察のレベルはあまりに幼稚だ。作品の内容的に各国での年齢レイティングがどうなっているかは知らないけれど、中学生・高校生向けにはちょうど良いかも知れない。


がっかり、期待外れのキム・ギドクだった。大衆に広く受け入れられ、理解も容易な作品ではなくてもよいから、キム・ギドクにはもっと尖った映画を作って欲しい。過去の作品のいくつかの要素を薄めて、薄めて作った作品。「目黒のさんま」と言ったところだろうか。骨抜きにされたお城での秋刀魚ではなく、隠亡焼きにされた目黒の秋刀魚が食べたかった。

映画度:★★★★/5*


*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。



2013.08.05   
ラッコのチャーリー


J'aime bien les films de Kim Ki-duk, j'ai vu tous ses 15 longs métrages de Crocodile à Dream (ce dernier avec une petite déception). Je suis même allé au cinéma voir son autoportrait/docummentaire Arirang. Et cette fois-ci avec cette Pieta (ou Pietà) KKD m'a bien déçu; médiocre! Si c'était le premier ou second long métrage d'un jeune cinéaste, j'apprécierai peut-être un peu plus, je remarquerai le nouveau talent arriver, mais pour un film du réalisateur de L'Île ou de Locataires ...


Kang-do se charge de recouvrer de l'argent d'un usurier. Il est impitoyable envers les débiteurs, dont la plupart sont des petits industriels de petites usines démodées et délaissées par le temps. Il vit seul et ne sait pas les visages de ses parents. Il est quelqu'un qui ne connaît pas l'amour. Un jour Mi-sun apparaît devant lui prétendant qu'elle est sa mère. Elle lui demande pardon de l'avoir abandonné dès sa naissance. Au début il la refuse. Elle continue de le suivre. Il commence à l'accepter. Et pour Kang-do elle devient quelqu'un (la mère) de qui il ne peut plus se passer. Naissance chez lui d'un sentiment d'affection ou d'amour. Je m'abstiens d'en écrire le détail pour ne pas spoiler, mais jusqu'à faire Mi-sun dire en larmes «Pourquoi si triste?» en regardant Kang-do. Cette intrigue est assez intéressante, Jo Min-soo et Lee Jung-jin jouent bien, cependant elle n'est pas du tout exploitée dans l'ensemble du film. Il y a le commentaire sur l'argent (par la bouche de Mi-sun), la pauvreté des petits industriels, l'injustice sociale, modernisation de la ville etc..., certes tout cela est vrai peut-être mais les considérations en sont trop naïves, démodées, ou puériles.

(Les étoiles indiquées en haut ne signifient pas mon appréciation du film, mais à quel point, à quel degré le film a le caractère ou attrait cinématographique et non télévisuel.)

(écrit par racquo)