2013/01/30

ちょっとだけワイン考


食事あってのワイン
ワインあっての食事



今日友人たち何人かとレストランに食事に行き、さっき帰ってきた。6人だったのだけれど、ワインを飲んだのは自分を含めて3人。そのうちの一人は酒好きで、「◯◯はお酒を断ったことはない。」なんてちょっと冗談めかしてボクは彼女に言ったりする。食べたのはステーキとハンバーグのセットプレート。ものすごく上等なワインではなく、単なる5〜6年もののボルドーのコットゥ・ドゥ・キャスティヨン。カベルネよりメルロー主体。とは言ってももっと雑な普通にテーブルワインとしてグラスとかで出されるワインよりは少々まともなワインだ。さて料理が来て皆食べ始めたのだけれど、その彼女のグラス、ワインの水位がいっこうに減らない。「◯◯さん、ワイン飲まないの?。」と訊くと「食べる方に夢中で…。」という答え。

ワインというのは不思議なお酒で、ワインがあると料理をより美味しくし、料理があるとワインを美味しくする。だからテイスティングという特殊な場面を除けば、ワインあっての料理だし、料理あってのワインなのだ。だから目の前にワインがあるのに料理を食べるだけでワインに手が伸びないというのは、ボクとしては考えられない。他人がどういうワインの楽しみ方をしようとボクは文句をつけるつもりはないが、ボク的に言わせてもらえば、彼女はワインという魔法の飲み物の醍醐味を知らないのではないか、と思った。




2013.01.30    
ラッコのチャーリー

2013/01/27

『希望の国』


監督:園子温
撮影:御木茂則
出演:夏八木勲、大谷直子、村上淳、神楽坂恵、清水優、梶原ひかり
133分カラー(ごく一部モノクロ)
2013.01.20 桜坂劇場ホールAにて



この映画は桜坂劇場で1月19日からの公開だった。それを20日に見に行った。だからと言って「早く見たい観たい」と心待ちにしていたわけではない。予告編を何度も見せられていて、実はパスしたい作品でもあった。劇場の知っている係の女性にも「観るんだ~?!。」と言われ、「とりあえず早く見ておかないと、見ないで済ませてしまいそうだから早々に見に来た。」と答えた。でもこの人(園子温)の作品って、見るとそれなりに見せてくれる。だから期待よりも良かったというよりも、イヤな予感に反してとても良い映画だった。


園子温の作品は、自分は少々遅れて見始めたのだけれど、最初に見たのは洞口依子と麿赤児主演の『THE ROOM 部屋』だった。この作品に興味を持って、レンタルDVDなどでこの人の作品を見漁った。『愛のむきだし』以後の作品は公開されたときに映画館で見てきた。プルーストではないけれど、映画でも音楽でも絵画でも文学でも、自分はその作家に共通するものを見つけたいと思ってしまう。それは必ずしも正しい(?)あり方ではないかも知れないのだけれど…。そうするとこの人に対する私の印象は、日常的なものであれ、病的であったり極端なものであっても、人を動かす心理とか情念はどういうものであるか?とか、そしてその集合により構成される社会とは?といったことにある気がする。この『希望の国』は、なるほど放射能汚染問題をテーマにしてはいるけれど、それは原子力の是非とか、事故に際しての政府行政や電力会社の対応の問題という切り口よりも、そうした中での「人」とその集合である「社会」のあり方に対する興味であるような気がする。


『自殺サークル』『紀子の食卓』『エクステ』『うつしみ』といった作品と比べれば、いや『愛のむきだし』や『恋の罪』『冷たい熱帯魚』と比べても、この『希望の国』は普通っぽい人々のあり方を描いているようだけれど、基本は『THE ROOM 部屋』以来変わってないように思われる。人はどういうものに、どういう思いや信じ込みによって動かされ、それが社会を作っているかが描かれている。たとえば『自殺サークル』ではちょとフィクション性の強い状況・人々を描いたのだけれど、今園子温が東北地震や福島原発の被災地に深く関心をもっているのは、こういう特異な(極端な)出来事の生じた状況下で「人」のあり方を見つめ、描きたいからなのではないだろうか。



ところであれは『恋の罪』だったろうか?。ヴィスコンティの『ベニスに死す』の曲としてあまりに有名なマーラー第五交響曲のアダージェットを上手く使っていた。この手垢のつき過ぎた曲の使い方の上手さに私は唸った。『太陽』でソクーロフがベルイマンのバッハ無伴奏チェロ組曲第五番サラバンドを使ったあの安っぽさとは大違いだった。認知症の母(大谷直子)が何かの物音を盆踊りの音楽と思い込み、浴衣を着て娘時代の記憶に生きながら立ち入り禁止区域にあるかつての思い出の盆踊りが行われた場所に独り行ってしまう。検問をやぶりその妻を探しに行く父(夫)夏八木勲。今度はここで同じマーラー第十交響曲のアダージョを鳴り響かせたやり方はちょっとズルい感もないではないが、この数分のシーンは、映像・表現の映画性として、近年の日本映画で稀にみる素晴らしいものだった。もちろんそこに至るまでのストーリーを知らなければならないだろうが、このシーンを見るだけでこの映画を見る価値はあるかも知れない。機会があればあのシーンを見るためにもう一度桜坂劇場に行きたい。園子温、やっぱり「映画」というものをわかった監督さんだ。




2013.01.27   
ラッコのチャーリー

記事索引





映画の感想など(作品名順)
愛、アムール(2013年04月16日)
イラン式料理本(2013年01月22日)
ヴァージニア(2013年01月24日)
怪談 新耳袋 異形(2013年02月28日)
カラカラ(2013年02月22日)
希望の国(2013年01月27日)
桜並木の満開の下で(2013年08月06日)
シャドー・ダンサー(2013年04月18日)
シェフ!(2013年02月22日)
セレステ ∞ ジェシー(2013年07月20日)
(2013年02月05日)
テッド(2013年03月02日)
東京家族(2013年02月20日)
嘆きのピエタ(2013年08月05日)
(2014年07月31日)
東ベルリンから来た女(2013年04月18日)
100万回生きたネコ(2013年03月04日)
フライト(2013年03月07日)
ホーリー・モーターズ(2013年05月19日)
蜂蜜(2013年02月05日)
ミルク(カプランオール監督)(2013年02月05日)
みんなで一緒に暮らしたら(2013年02月13日)
ムーンライズ・キングダム(2013年04月08日)
ユスフ三部作(卵・ミルク・蜂蜜)(2013年02月05日)
リアリティのダンス(2014年07月30日)


映画の感想など(監督名順)
アンダーソン(ウェス)『ムーンライズ・キングダム』(2013年04月08日)
井口昇 『怪談 新耳袋 異形』(2013年02月28日)
ガニオン(クロード)『カラカラ』(2013年02月22日)
カプランオール(セミフ)『』(2013年02月05日)
カプランオール(セミフ)『蜂蜜』(2013年02月05日)
カプランオール(セミフ)『ミルク』(2013年02月05日)
カプランオール(セミフ)「ユスフ三部作」(2013年02月05日)
カラックス(レオス)『ホーリー・モーターズ』(2013年05月19日)
キム・ギドク『嘆きのピエタ』(2013年08月5日)
クリーガー(リー・トランド)セレステ ∞ ジェシー(2013年07月20日)
コーエン(ダニエル)『シェフ!』(2013年02月22日)
小谷忠典『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2013年03月04日)
コッポラ(フランシス・フォード)『ヴァージニア』(2013年01月24日)
シルワーニ(モハマド)『イラン式料理本』(2013年01月22日)
スカファリア(ローリーン)『エンド・オブ・ザ・ワールド』(2013年02月18日)
ゼメキス(ロバート)『フライト』(2013年03月07日)
園子温 『希望の国』(2013年01月27日)
トリアー(ラース・フォン)『Direktøren for det hele』(2014年08月31日)
ハネケ(ミヒャエル)『愛、アムール』(2013年04月16日)
船橋淳 『桜並木の満開の下で』(2013年08月06日)
ペツォールト(クリスティアン)『東ベルリンから来た女』(2013年04月18日)
ホドロフスキー(アレハンドロ)『リアリティのダンス』(2014年07月30日)
マクファーレン(セス)『テッド』(2013年03月02日)
マーシュ(ジェームズ)『シャドー・ダンサー』(2013年04月18日)
ミックル(ジム)『』(2014年07月31日)
山田洋次 『東京家族』(2013年02月20日)
ランデズマン(ピーター)『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』(2014年09月02日)
ロブラン(ステファン)『みんなで一緒に暮らしたら』(2013年02月13日)

前のブログへのリンク
楽天ブログ『ラッコの映画生活』(2006年12月~2009年6月)

フランス語テキストのあるページ索引

その他の日常の独り言
ボクは二千円札が好き(2014年06月18日)
日本語についてちょっと(2013年05月23日)
映画度 映画らしい映画を求めて/その1(2013年02月27日)
午前十時の映画祭(2013年02月17日)
目黒シネマ(2013年02月16日)
映画と外国語と字幕(2013年02月14日)
映画はなくなる?!(2013年02月06日)
2つのルールのせめぎあい(2013年02月03日)
ちょっとだけワイン考(2013年01月30日)






前のブログでは何百本もの映画の感想を書いたのだけれど、作品名や監督名でひく索引を後で作ったので作成がたいへんだった。なので今回は早いうちから索引を作っておこうと思う。記事を1件、あるいは数件アップするごとに更新していきたいと思う。






昨年12月、スマートフォンに機種交換


 携帯・スマホ・パソコンなど


昨年の12月に携帯を機種交換してスマートフォンにした。マック派の自分だからほんとうはiPhoneが良かったのだけれど、おサイフケータイのヘヴィーユーザーなのでauのXPERIA VL SOL21というのにした。


これまでのau W52Sは4~5年使っていたけれど、慣れた環境なら特に不都合がなければ同じものを使い続けたいというのが自分考え方。アドエス帳ぐらいならいざ知らず、写真その他ダウンロードした画像、ミュージックプレーイヤーとしてCDから取り込んだ音楽など多数あるから、機種交換によるダメージはなかなか大きい。でも最近ネットに接続しても「携帯版のサービスは終了しました」というサイトもあるし、電池も老朽化してきていたので、思い切ってスマホに交換した。


そんな自分だからなるべく長く使っても古くなりにくい新しいものを選んだ。選択するのに検討した点で自分にはまったく無関係だったな要素は、ワンセグと多彩なアクセサリー。テレビは嫌いで見ないから(地デジのテレビ受像機持ってません)ワンセグなんて不要。あとはティッシュでもドアノブでも固定電話でも便座でも、なんでもかんでも服を着せるのは大嫌い。だからケースのようなものも不要だ。


自分の生活スタイルを考慮すると、ミュージックプレイヤー(iPodなど)、携帯、スマートフォン、タブレット(iPad)、ノートパソコン、デスクトップパソコン(iMacやMac Pro)などの機器の連携は、気軽に手ぶらで出かけるという意味ではiPad miniでも大きすぎるから、手ぶらならスマホのみ、バッグを持つならプラスMacBook Proというのが便利だろう。環境全体の構成機器の数が増えるのはかえって不便だ。


その意味ではXPERIAとMacBook Proという現在の環境はシンプルで良い。またこの機種は普通のミニプラグのヘッドフォンが差せるのが良い。iPadやMacBook Airには強い魅力を感じはするけれど、これらを持ち歩くくらいなら実のところMacBook Proとあまり変わらない。だからディスクドライブのあるMacBook Proの方が良い。何かの折りにすぐCDでもDVDでも見たり聞いたりできるのだから。



2013.01.27   
ラッコのチャーリー

2013/01/26

世界標準ではない日本人の謝罪文化


「あやまる」考


最初にお断りしておくと、これから下に書く比較のようなもの、そのどちらが良いとか正しいとか決めつける意図はない。自分としては日本的「あやまり」の世界に少々ウンザリしているだけだ。

友人から聞いた話によると、日本人はいとも簡単に謝る世界中の3民族の一つだという。あとの2つは、エスキモーと、名前も聞いたことのないニューギニアの奥地の部族らしい。我々日本人は日本での文化・習慣を当然として感じているから、例えばフランスに住むと「フランス人は謝らない」と簡単に断ずる。しかしどうも簡単には謝らないフランス人の方が世界標準で、日本人の方が実は例外的なのかも知れない。

映画を見ていてもそんな様子は解る。この間も何かの映画を見ていたら、謝る人に対して謝られた相手が「大人なら謝ったりしないで」と言っていた。なぜ「大人なら」かというのを少し解釈すれば、子供は自分で犯した過ちなどの責任を取りきれない。店で商品を落として壊してしまっても、お金を出して弁償するのは本人ではなく親だ。だからその子供は親に「ごめんなさい」と謝る。しかし大人であるなら責任はその本人が取らなければならない。

夫の浮気が妻にバレたとして、日本なら夫は妻に謝るだろうけれど、妻としては、謝ってもらっても起きてしまったことが無になるわけではない。だから夫が浮気をしたなら、謝るのなんのというのではなく、その行為によって妻の信頼を失うとか、愛を失うとか、離婚を請求されるとか、その場合に慰謝料を請求されるとか、そういうことになることを責任として受け入れることが求められるのであって、謝ることにより許してもらうとかいうのはないのだ。

日本では重要であるけれど、自分にとっては不快なこと。それは両者の立場の関係から、立場の低いとされる者は、悪くなくても立場の高い者に謝ってしまうことだ。逆に低い方は高い相手に対してあえて文句を言わない。つまり謝るというのは、立場の上下関係を互いに確認する制度上の行為であると言っても良い。お客は偉そうに店員に文句をつける。店員はお客のクレームが理不尽であることが解っていても、反論せずにただ下てに謝って事を収めようとする。(しかしここで気づいても良いことは、ある特定の客の理不尽に対して払い戻しとかいった穏便な処理を店がしたとき、店としては全体としてそれが有利な方策だったとしても、その理不尽な要求の代価を支払わされているのは他ならぬ善良な客であるということだ。)

立場の上下関係と言ったが、親と子ではこの関係があるわけであり、神と信者の間にもそれがある。だから子供は親に謝り、信者は神に懺悔する。しかし大人と大人の間では、仮に夫が浮気をしようとも、夫より妻が偉いという上下関係がもともとあるわけではない。

私は父の仕事の関係で小学生だった一時期家族と共にフランスに住んでいた。その父が会議出席の出張でエール・フランスに乗りイスラエルに向かった。父はテルアビブで飛行機を降りたが預けた荷物が出て来ない。その便は当時「南回り」と呼ばれていた便で、パリからテルアビブやその他2、3の都市を経由して東京まで行く便だった。調べてもらった結果、パリの空港でチェックインしたとき担当者が父の荷物に「東京行き」のタグを誤ってつけてしまったらしい。父の荷物はまだ飛行機の中にあり、東京に向かっていた。

ファーストクラスでもあったこともありテルアビブ空港のエール・フランス職員の対応は丁寧だったが、父はある不満を感じていた。それは「必要なものはお買いになって領収書を出していただければすべて払い戻しさせていただきます。」とは言ってくれるものの、陳謝の言葉が一言もないことだった。フランス人お得意の「Je suis desolé. = お気の毒です」と言うだけで謝罪の言葉はない。「タグを間違って付けたのはパリの係員であって、私ではない。」とも言う。ちょっとコメントするなら、もし自分のミスでもないのにテルアビブの担当者が謝ってしまったら、その人はパリの係員の犯したミスを自分の誤りだと認めてしまうことにもなる。だいたい自分のでもない他者の犯したミスの謝罪をするというのは越権行為だし、勝手にエール・フランスを代表して謝罪するなどということもできない。結局東京まで行ってしまった荷物を父が受け取ったのは3日くらいたってからだった。

さて怒っているというのではなくても父が納得いかなかったのは、誰のミスであってもエール・フランスという組織が犯したミスなのだから、テルアビブのエール・フランスの担当者は迷惑をかけた父にエール・フランスの職員として謝罪しても良いのではないかという疑問だった。そこでパリに戻った父は現地雇いの有能なロシア系フランス人の秘書にそのむねの手紙をエール・フランスの社長宛てに書くように頼んだ。この人は英仏独語はペラペラで、その他事務処理などの能力が実に高い人で、父の赴任前から何年も働いていてかなり日本人の発想も知っていたのだけれど、そのマダム・Bは父に言った。「書けというからなるべく真意を伝えるように手紙を書くけれど、ムッシュー****、正直言って私はあなたの言うことの意味が良くわからない。」

次は父ではなく大人になった私が海外旅行で経験したこと。ある年の暮れから新年にかけて私はヨーロッパを旅行した。航空券の安かったアエロフロートのモスクワ経由便でドイツ(当時は西ドイツ)のフランクフルトに行った。予定では12月24日の夕方18時過ぎにフランクフルト空港到着で、ハーツ Hertzのレンタカーを予約してあった。予約にはもちろん到着の便名も入っていた。到着が遅れたので実際に着いたのは20時頃。入国手続きを済ますと早速ハーツのカウンターに向かったが誰もいない。既に閉店している。本来は年中無休で23時頃までオープンしているはずのカウンターが、である。近くの別の何かの人に尋ねると18時はおろか17時頃にハーツの担当者は帰ったとのことだった。その日はフランクフルト空港で車を借りて、1時間ほど走った所に泊まるべくホテルを予約してあった。足もないのでそのホテルには電話をしてキャンセルし、しかたなくその夜は空港から徒歩1分くらいで、空港ともつながったホテル・シェラトンに泊まった。

翌朝ホテルで朝食を済ますと、ハーツのカウンターに向かった。カウンターは開いていた。幸い担当者はフランス語ができたので、詳しく事情を話し、予約確認書も渡して車を借りることはできた。でも謝罪の言葉はもちろんない。「クリスマス・イヴだったからね。」で終わりである。これが日本であったら「大変ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。」と平身低頭謝罪しなければ客は逆上するだろう。

日本での「謝罪」に関して私が羞悪だと思う映像がある。今はもう二十年以上ほとんどテレビは見ない私だけれど、以前によく見せられたのは、事故とかなんらかの不祥事とかがあって、社長とか責任者とされる会社のお偉いさんが記者会見などで深く頭を下げて陳謝する光景だ。この陳謝の様子をテレビで流すことが恒例となっている。一つの制度と言ってよい。そういう時の記者の質問の様子や態度はなんであんなにもデカいのだろう。記者自体はその不祥事の報道をしているだけで、彼らが直接被害を受けたわけでもないのに、である。さしずめ「世間に対して罪を犯した」ということで、記者諸子はその世間の代弁者というつもりなのだろう。そして謝って当然とテレビを見ている視聴者も、ほとんど大多数は被害者ではない野次馬である。

ここに見てとれるのは、安全な場所にいて責任者を糾弾する記者や視聴者と、非難を受けて陳謝することしかできない社長などという図式だ。つまり上下関係、強弱関係の確認なのである。そんなことで視聴者や記者たちは正義の名の下にいい気になっていて、そこにきっと快感を得ているのだ。しかもこうした場合、謝るのは住所不定無職の犯罪者とかではなく、大会社の社長という地位も高い人だから、快感はなおさらなのだろう。自分は大会社の社長を見下げる立場にあるという快感かも知れない。

ここまで書いてきた「あやまる」ということと無関係でないのが、日本人のある種の公衆マナーの悪さだ。例えばデパートのような所に行く。正面玄関は手で押して開くタイプのガラスドア。これを見た途端にイヤな気分にさせられないよう警戒してしまう。私が入ろうと押し開けたドアのすき間から何も言わずにスッとすり抜けて行く人がいるからだ。それが子供ならいざ知らず、普通の大人の人なのだ。

次はエレベーター。途中の階で止まって誰かが降りる。そしてドアが閉まり始める。そのときエレベーターに乗ろうと走って向かってくる人影。操作ボタンの前にいた気のいい人は親切にも「開⇔」ボタンを押してドアを再び開け、乗ろうとする人が乗るまでボタンを押し続けて待ってあげる。無事に乗り終えた人は操作ボタンを押して自分が乗れるよう待ってくれた人に「ありがとう」でも「すいません」でもない。会釈するでもなく、さも当然のように無表情だし無言だ。

売り場に行こう。ある客が店員をつかまえて「○○はどこにあるっ?。」と訊いている。不機嫌そうな顔をして、横柄な口調だ。店員は丁重に売り場を指示する。それで終了。客は何も言わずにそのまま教えられた売り場に向かうだけだ。ここでも言葉や会釈はない。

日本語の「ありがとう」は「すみません」で置き換えることができる。つまり礼を言うことは謝罪とつながるのかも知れない。不祥事の社長の場合でも、謝罪を拒否した映画の人物の場合も、謝罪というのは、言う側と言われる側の上下関係を作る。つまり2人の人物の「対等」を破る行為なのだ。人々は毎日いろいろな人間関係において上位であったり下位であったりする。同じ人が会社の上司に対しては下位であるが、部下に対しては上位。子供に対しては上位、親に対しては下位。取引先の顧客に対しては下位だけれど、お店に行って買い物をすれば店員に対して上位。

なるほど「お客様が買い物をして下さる」から店の商売(金儲け)は成り立っているのだけれど、わたし的なちょっと極端な解釈をするなら、そのお店があることで客も便利に商品が買えるという恩恵に預かっているのだし、そもそもそこで働く店員よりも客が偉いという比較は成立しない。そこで働く一労働者と買い物をする客は人としてあくまで対等である。店の不始末、というよりも多くの場合理不尽ないいがかりや文句をつけ、店員の人格をも否定するようなことを言う客は羞悪だ。そしてそれを黙って耐えている文化自体に嫌気がさす。

そしてこの破られた「対等」の人間関係の中で日本人は上位の方であることを望む。だから買い物はせっかくのチャンスなのだから、店員には横柄に振る舞って上位をしっかり味わおうとするのか。エレベーターの中の人は見知らぬ他人なのだから、礼を言うことによってわざわざ自分をその人より下位に感じることはない。一方例えば西洋人は見知らぬ人との触れ合いで「人として」互いに対等だと思っているから、軽い礼などを簡単に言い合う。あるいは深い人間関係では誤り・謝られることによって対等が破れるのを拒否する。

簡単にあやまる礼儀正しく美しい日本人とその文化。そう言えるとするなら、それは謝罪が相互的である場合だ。「時間に遅れてごめんなさい。」「いえいえ僕の方がこんな時間に来ていただこうなんてご迷惑をおかけしました。」「この時間に来ると約束をしたのは私ですから。」「そう恐縮なさらないで下さい。無理なお願いをしたのではないかと申し訳なく思っているのは僕ですから。」というようなのは、回りくどいけれど良しとできるかも知れない。


記事索引

2013.01.26   
ラッコのチャーリー

2013/01/24

『ヴァージニア』

原題:Twixt (古めの英語でbetween、つまり「間に」というような意味らしい)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
制作:American Zoetrope (2011) 89分カラー
撮影:ミハイ・マライメア・Jr
出演:エル・ファニング、ヴァル・キルマー、ブルース・ダーン
2013.01.19 桜坂劇場ホールCにて



この映画、日本の映画関連サイトでの観客などの採点は低め。フランスの映画サイト ALLOCINE で紹介されている新聞・雑誌の批評も最高の★5つ(カイエ・デュ・シネマ誌やル・モンド紙)から最低の★1つ(ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌やテレラマ誌)まであって評価が割れている。でもきっとこの作品が『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラの映画だからなのではないだろうか。人々はコッポラだから『ゴッド…』や『地獄…』のような作品を期待するから、今さら『胡蝶の夢』だとか『テトロ』やこの『ヴァージニア』のような小規模で、また個人的な作品を見せられても満足しない。でももともとこの人はエイゼンシュテインを研究し、黒澤映画が好きでノーベル賞事務局に特例で黒澤明にノーベル文学賞を授与するように嘆願したような人で、根からの映画好きだろう。ものすごい名作とか傑作というのではもちろんないかも知れないがなかなかどうして面白かった。


物語は落ち目のオカルト作家が本のサイン会というプロモーションでとある小さな町にやってくる。その町でたまたま出会った少女殺人事件の解明と、作家が酔って夢の中でかつて殺された少女の幽霊と会い過去の事件の真相を知っていく経緯と、この町にかつて滞在したエドガー・アラン・ポーに導かれて、その2つの解明と作家自身が悩まされている娘の事故死に対する罪悪感からの解放が、渾然一体となって描かれていく。しかし最後は場面が一転して、編集者を前にそうして書き上がった本の出版の話をしているという枠がついており、この今語られ、観客が見せられてきた物語自体のどこからどこまでが本当のことであるかは曖昧だ。


もちろんこういう話法自体はそう珍しいものではない。ほとんどの映画が、製作者が提供する嘘の物語やその映画的描写を、観客がそれを承知の上でそれに身をまかせ、真実らしいものとして受け入れることで安心しするという一つの制度化されたもので、支配的なイデオロギーを再認・強化するものである中で、たとえばゴダールであるとかハネケであるとか、その制度化されたものを壊そうというものもある。そういう意味では、監督の「個人的」とか「親密」いう性格を持った映画は一つのあり方として、「新しい焼き直し」ではない存在理由を持つかも知れない(少なくとも作っている本人にとって)。ボート事故で息子ジャン・カルロを失っているフランシス・コッポラが描く娘をボート事故で失ったという設定の作家は、コッポラのアルターエゴであり、この映画を作ることで何らかの解放を求めているのだろう。


そんなことはともかく、この映画を楽しみに、ぜひともと思って見にいったのは、エル・ファニングが出ているからだった。『SOMEWHERE』や『スーパーエイト』のエルはとても魅力的だった。『SOMEWHERE』はフランシス・フォードの娘ソフィア・コッポラの監督作品で、フランシスも制作などに関わっている。これはまた別の意味で監督の「個人的」問題だけれど、娘の映画の製作や娘の映画で知ったエル・ファニングの魅力にフランシスが取りつかれたのだと思う。単純にロリータ趣味とかいうのは、七十歳を過ぎた(もっと若くても)男性の生の源泉というものを知らない人の言うことだ。ただ予告編でもそのシーンの彼女がやや気がかりに見えたのだけれど、実際に映画で見て、やはりそのシーンでの彼女の表情が、透明感のある良い意味で(女の)子供からやや離れて普通の女のものに見えた。いつまでも12、13、14歳でいられるはずはなく、成長するのは当然だけれど、彼女が良い方向に脱皮していくことを望んで止まない。


そうそう、この映画にはポーが出てくるけれど、エドガー・アラン・ポー作品の映画化でいちばん有名なのはたぶんルイ・マル、ロジェ・ヴァディム、フェデリコ・フェリーニの3人が監督したオムニバス映画『世にも怪奇な物語』だろう。その中のフェリーニ編『悪魔の首飾り』でテレンス・スタンプ演じるアル中の俳優はフェラーリのオープンカーを飛ばして、工事中の高速道路で張られていたワイヤーに突っ込み首が落ちる。この『ヴァージニア』で作家が回想する(と言っても作家自身は目撃していないのだが)娘のボート事故は、牽引中の2隻のボートのロープに突っ込むというもので、このフェリーニの映画が思い出された。事故の顛末は描かれないが、もしや作家の娘も同じ死に方だったのかも知れない。(というより、本当のところは、この作家も娘も、その事故も虚構だから、こんなことを言っても意味はない。)


記事索引

2013.01.24   
ラッコのチャーリー

2013/01/22

『イラン式料理本』

Iranian Cookbook(Dastoor-e ashpazi)
監督:モハマド・シルワーニ
2010年 イラン DVカム カラー72分
2013.01.21桜坂劇場ホールAにて



この映画の邦題はほぼ英語題の直訳なのだけれど(ペルシャ語Dastoor-e ashpaziの意味は不明)、そしてプログラムを開くと下の写真のように、


料理の本のような料理の作り方が掲載されていて、まあ予想するからに女性向けの映画と勘違いする人もいるのではないだろうか。自分が見にいったときも観客はたぶん自分以外すべて女性だった。たしかにこの映画では監督の親族や友人の主婦たちが台所でカメラに向かって料理の作り方を説明しながら実際に作る様子が紹介されている。しかし監督と主婦たちとの会話から見えてくるのは、一つには時代と共に変わるイラン家庭での食文化ではあるけれど、それにもまして男性中心社会からの若い女性たちの自立の意識なのだ。つまりは広い意味でイラン社会の変化ということでもある。ミステリーのような劇映画ではないのでネタバレしてしまってかまわないと思うので最後の落ちを書いてしまおう。エンドロールに入ったところでテロップで出るのは、撮影当時100歳近かった友人の母親が亡くなったというのには驚かないが、その後に「この映画の後、妻は私と離婚し、妹も離婚を考えている。」という文なのだ。(ぜひYouTubeで予告編だけでも見てください。


上の写真の監督の妻も夫に対する不満をたらたらと映画の中で語っていた。彼女は言う。「時代と生活スタイルが変わり、昔風に床ではなく椅子でゆったりするけれど、頭の中は今も同じ。考えは変わらない。男は政治を語り、女はその首を1人ずつ切り落とす夢を見る。」そして監督の妹は言う。「兄さんはどうか知らないけど、イランの男は自分がいばいりたいから女の仕事を見下し、過小評価する。うちの家族に限らないどこも似たようなもの。」

まあこんな事情は今の日本でも、家庭によっては、そう変わらないのかも知れない。自分の知るあるご夫婦は共稼ぎで、多少は夫の方が勤務時間は長いかも知れないけれど、家では子供の世話から炊事・洗濯・掃除…、ほとんど妻がやっている。夫だけが休みの日にカップ麺を食べても汁の残ったカップや箸はそのままテーブルに置かれたまま。良くて流しに置いてあるぐらいだ。このご夫婦は円満なようなので口を出す気はないけれど、これが日本に於ける一つの現実だ。そういう意味ではこの映画で描かれるイラン家庭の問題はそのまま日本での問題でもあるだろう。


この映画を見ながら感じるもう一つのことは食の工業化の問題。登場するもっとも現代的な主婦は監督の妻だろう。夫が10時半に何人もの知人を連れてきて料理を出せと言われれば、もちろん支度に時間のかかる料理を出すことなどできない。それゆえに缶詰を温めるだけという手抜きもしかたがない。でもそれと比べると伝統的な主婦たちは3時間も4時間もかけて料理をする。出来合いの冷凍素材も使わない。インゲンなら市場で自分で選んで良いものを買い、炒めて冷凍してある。そしていちいちいちいちすべて自家製でちゃんと料理をする。ドキュメンタリー映画『モンサントの不自然な食べもの』の監督マリー = モニック・ロバンはインタビューで「フランス人は、きちんと料理して良い食生活を送ることに重きを置く。」と言っていた。自分もどちらかと言えばそういう主義(?)だ。


今自分はとても広い賃貸マンションに何人かでルームシェアをして住んでいる。沖縄では(少なくとも自分は)冬でも暖房は入れないないので、少々寒いこともある。ここに引っ越して来たのは2008年の12月末。そんなある夜、寒いからみそ汁でも作って飲もうということになった。自分は鍋に鰹節を入れてだしをとり始めていたのだけれど、しばらくして他の2人が「みそ汁まだぁ?」と訊く。「今だしとってるから」と言う2人はビックリ。当然お湯を沸かしてインスタントをお椀で溶かすだけだと思っていたらしい。今日も仕事から帰ってきて、時間があまりないし一人の食事(昼食兼夕食)だったけれど、鍋にバター敷いてシメジを入れ、そこにサーモンを載せ、白ワインを入れてパラフィン紙で落としぶた。鮭と茸を皿に盛って残りの汁をバターモンテしてソースにした。冷凍や缶詰の素材を使ったりと手抜きはするけれど、食事というのは料理して食べるものだと思っている。映画『モンサントの不自然な食べもの』や『フード・インク』(YouTube予告編)を観るといかに現代の食の工業化が危険であるかがわかるが、時間をかけて作る料理がイランでも危機にあるのは考えさせられる。


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2013.01.22    
ラッコのチャーリー

2013/01/18

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前回の投稿で今も生きているブログ『ラッコの映画生活』へのリンクは張りました。このブログの映画レビューの執筆は2007年から2009年頃で、およそ400本の映画のレビューをアップしました。たった4〜5年前のものですが今読み返すと気恥ずかしい内容のものも少なくありません。そのブログでは索引のようなものも作ってありますが不完全でもあり、今この新しいブログからアクセス出来るようにリンクを張っておきたいと思います。(年月をクリックすると、その下に題名を記したページへのリンク表ページが開きます。)

デカローグ 1 〜 2

デカローグ  3 〜 10  尋問   ヌードの女   KOROSHI/殺し   ゆれる   奇跡の朝   太陽   薬指の標本   蛇の卵   狼の時刻   愛人/ラマン   アパートメント   偶然   傷跡   愛人/ラマン 最終章   終わりなし   ふたり   ミュリエル   ワルシャワの柔肌   鏡の女たち   H story   美しき運命の傷痕   炎と女   友だちの恋人   M/OTHER   男と女と男   殺し   マタンゴ   ブライアン・ジョーンズ / ストーンズから消えた男   変態村


ワンダフル・ラヴ   白と黒の恋人たち   つめたく冷えた月   風の中のリセエンヌ   夢見る小説家   愛のめぐりあい   ロマンスX   太陽はひとりぼっち   真昼ノ星空   アマチュア   クロエ   内なる傷痕   さすらいの二人   二十四時間の情事   私の男   彼女たちの時間   いまを生きる   エリザ   逢いたくて   とまどい   柔らかい肌   パリのランデブー   アンナ・オズ   愛の謝肉祭   愛を弾く女   アメリ   海流   ある女の存在証明   ミナ   巴里の恋愛協奏曲   パリの大泥棒


赤い砂漠   トリノ、24時からの恋人たち   2 デュオ   ある子供   キング 罪の王   マックス、モン・アムール   甘い生活   (裏窓の女)甘い嘘   橋の上の娘   ふたりのベロニカ   ヘヴン   仕立て屋の恋   ニキフォル - 知られざる天才画家の肖像   でらしね   八月はエロスの匂い   ワルプルギスの夜   ニキータ   アサシン   ルームメイト   ポーラX   沈黙の行方   恋愛小説   世にも怪奇な物語   リード・マイ・リップス   ザ・マシーン - 私のなかの殺人者   憂國   久高オデッセイ   ギフト

記憶の扉   親密すぎうちあけ話   ダーウィンの悪夢   欲望   ひとりぼっちの狩人たち   堕ちてゆく女   クリクリのいた夏   僕の妻はシャルロット・ゲンズブール   誰も知らない   摩天楼を夢みて   ギャルソン!   ベルリン 天使の詩   ティコ・ムーン   モニカ・ベルッチ ジュリア   青い夢の女   日曜日の恋人たち   プレイバック   見憶えのある他人(悪魔の囁き)   ピンク泥棒   恋は足手まとい   コールガール   スイミング・プール   愛のはじまり   死への逃避行   シャンドライの恋   リリィ   ジョルジュ・バタイユ ママン   愛の神、エロス   隠された記憶   恍惚   ベーゼ・モア

戦争をしない国 日本

ビキニの裸女   フライトプラン   迷宮の女   ロング・エンゲージメント   ふたりの5つの分かれ路   夜の女たち   赤線地帯   武蔵野夫人   お遊さま   恋に落ちる確率

善き人のためのソナタ   ホワイト・ライズ   プール   フレンチなしあわせのみつけ方   グアンタナモ 僕達が見た真実   デサント・オ・ザンファー/地獄の堕ちて   アレックス   ラヴァーズ   バルカン超特急   恋しくて   バルニーのちょっとした心配事   アコークロー   まぼろし   ドレミファ娘の血は騒ぐ

麦の穂をゆらす風   ピアニスト   選挙   西瓜   やさしくキスをして   キングス&クイーン   唇によだれ   天使の肌   楽日   ガス燈   シティ・オブ・エンジェル   マルタ…、マルタ   ニコラ   C階段   渦 官能の悪夢   めぐり逢えたら   男が女を愛する時   見知らぬ乗客   ソフィー・マルソーの刑事物語   マドモワゼル 24時間の恋人   愛してる、愛してない…   旅芸人の記録   殺意の夏   プラン9・フロム・アウター・スペース   心の指紋   世界でいちばん不運で幸せな私

砂丘   シャーロット・グレイ   叫びとささやき   読書する女   CQ   ミシェル   エド・ウッド   火星のカノン   仕組まれた罠   約束 ラ・プロミッセ   穴   検死官 レイプ殺人事件   幸せのポートレート   悪魔の陽の下に  倦怠   モデルカップル   優しく愛して   白い家の少女   ハードキャンディ   ファイティング・テンプテーションズ   フレンチ・キス   田舎司祭の日記   愛されるために、ここにいる   電話で抱きしめて   リメンバー・ミー   ドリーム・ガールズ   革命の夜、いつもの朝   恋ごころ

デート・ウィズ・ドリュー   世界はときどき美しい   プルーフ・オブ・ライフ - 生存証明   ハリー、見知らぬ友人   悦楽   ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森   写真家の女たち   カンヌ SHORT 5   情痴 アヴァンチュール   ストリッパー パリ18区   趣味の問題   こうのとり、たちずさんで   恋人たちの失われた革命

娑羅双樹   8人の女たち   不完全なふたり   ドリーマーズ   輝ける女たち

六月の夜   過去のない男   不眠症 オリジナル版インソムニア   ダニエラという女   狂へる悪魔   秘密は誰かに話すもの   はじまりはオペラ   パッセンジャー   インソムニア   見つめる女   ベトナムから遠く離れて   恋愛睡眠のすすめ

叫   題名のない子守唄   降霊   愛ではないすべて   ふるさと物語   バンガー・シスターズ   散り行く花   a.b.c.の可能性   ストーン・カウンシル   LOFT ロフト   私生活のない女   溺れゆく女   女性上位時代   モニカ・ベルッチの情事   ドッペルゲンガー    回路   街のあかり   沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇   セリーヌとジュリーは舟でゆく   マリアの本

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東京物語   パリ、恋人たちの2日間   現代人   探偵事務所5 マクガフィン   フローズン・タイム   靖国 YASUKUNI   乾いた花   スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー

迷子の警察音楽隊   ジェリーフィッシュ   愛おしき隣人   JOHNEN 宗の愛   レディ・チャタレー   ファクトリー・ガール   アウェイ・フロム・ハー 君を想う   コミュニストはSEXがお上手?   白い馬   赤い風船   ワンダフルライフ   歩いても 歩いても   私が棄てた女   愛の渇き


闇の子供たち   246 STORY   シークレット・サンシャイン   ユア・マイ・サンシャイン   スエリーの青空   おそいひと   ランジェ公爵夫人   大いなる戦争   インディア・ソング

フロンティア FRONTIER(S)   8 1/2   屋敷女   いまここにある風景   水の中のつぼみ   once ダブリンの街角で   2001年宇宙の旅   2010年   エディット・ピアフ 愛の賛歌

リダクテッド 真実の価値   TOKYO!

TOKYO!   休暇

ブロークン・イングリッシュ   ぼくの大切なともだち   BOY A   ピアノチューナー・オブ・アースクエイク   アリス   彼女の名はサビーヌ   パレスチナ1948 NAKBA   僕らミライへ逆回転   画家と庭師とカンパーニュ


そして、私たちは愛に帰る   シャッフル   シェルブールの雨傘   トウキョウソナタ

ラ・ボエーム   ラスト・キャバレー   春夏秋冬をして春   悲夢

ユッスー・ンドゥール 魂の帰郷   聴かれた女   ラブホテル



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