Titre anglais:Cold Bloom
脚本・監督・編集:船橋淳
Écrit, réalisé et monté par Atsushi Funahashi
撮影:古谷幸一
Prise de vue:Kôichi Furuya
2012 Japon / color 119min
出演:臼田あさ美、三浦貴大、高橋洋
Avec:Asami Usuda, Takahiro Miura, Yô Takahashi
2013.08.04 桜坂劇場ホールBにて
桜坂劇場には毎日のように通っているので大抵の作品は本編を観る前に予告編を見ているし、チラシにも目を通しているのだけれど、この作品は珍しくほとんど前情報なしで観た。前もって知っていたのは桜坂劇場の会報 FunC にあった短い紹介文のみ。下に引用する。
理不尽な運命に翻弄される男女の物語:震災後の茨城県日立市を舞台に、突然の事故で最愛の夫を失いながらも、それを乗り越えようとするヒロインの心の葛藤を美しい桜並木を背景に描いたラブストーリー。小さな町工場で働く栞(シオリ)は結婚したばかりの同僚、研次との幸福な生活を夢見ていた。ある日、作業中の事故で研次が亡くなり、栞の生活は一変。栞は事故を起こした若い工員・工(タクミ)の謝罪を受け入れられない。だが、事故で経営的な危機に陥った工場を立て直すべく必死に働く工の姿を見て、栞の心は和らぎ始める(名前の読みは引用者が付加)。
自分流にこの紹介文を書き換えてみたい。
常識に囚われ過ぎることで翻弄される男女の物語:震災後の茨城県日立市を舞台に、突然の事故で愛する夫を失い、それを乗り越えようとするヒロインの心の葛藤を美しい桜並木を背景に描いたメロドラマ。小さな町工場で働く栞は同僚・研次と結婚して2年。幸せに暮らしていた。ある日、作業中の事故で研次が亡くなり、栞の生活は一変。栞は大きな罪はないものの事故の直接の引き金となってしまった若い工員・工の謝罪を受け入れようとしない。だが、事故で経営的な危機に陥った工場を立て直すべく必死に働く工の姿を見て、いつしか栞は工を愛するようになる。
見終わって気になって、家に帰って調べたのだけれど、チラシにも公式サイトにも触れられてないことがあった(もちろん見落としでなければ)。それはこの物語が、背景こそ変えられてはいるものの、1967年成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』そのままだということだ。これは隠れリメイク作品だったのだ。(1)夫の殺害者、と言ってもその人には罪はない男性(裁判で無罪とか)と相互恋愛感情を持つに至るヒロイン(旧作では加山雄三と司葉子)。(2)夫の理不尽な親によってヒロインが除籍されること。しかしながら現在の戸籍法には家制度はないので、新作ではこの点がやや理解に苦しむ。旧姓で新戸籍を作らされたか、元の親の戸籍に戻らされたという理解で良いのだろうか?。(3)ちなみに旧作では妊娠していたヒロインは中絶をするが、新作ではそろそろ子供を作ろうかということで、どちらも子供はいない。(4)加害者男性と被害者女性の禁断の(?)恋愛が成就するかも知れないという場面で、夫の死を彷彿させる事故現場に二人は遭遇する(交通事故やドラム缶事故)。(5)旧作で重要な役割を演じた鉄道の踏切が、新作でもちょっとだけ描かれる。その他内容ではなく描写の仕方も、夫の事故の場面は描かずに直接葬儀の場面に移る点など、実に似通っている。
40年以上前の日本を舞台としていることもあり、成瀬巳喜男の手にかかるとこの悲恋メロドラマも、特に最後の方の秀逸な心理描写により説得力を持つものとなった。しかしそのメロドラマを下敷きにして、2010年代、震災後の復興、不況、外国人労働者(中国人)、サービス残業、そういったものを背景として映画を作ろうとしたこと自体に無理があったのではないだろうか。
自分はこの作品の底にある、あるいはこの物語が前提とする考え方が大嫌いだ。映画の中で妻・栞に賠償金を払うのは事故の起きた取引先企業だ。安全を無視してドラム缶を積み上げ放置していたことが事故の原因だからだ。なのに栞が工を許すとか許さないとか、お門違いなことを平気で描く。もちろん栞の心情は十二分に理解は出来るけれど、それは栞が自分の中で処理すべき問題であって、それを工に転嫁すること自体がおかしなことなはずだ。もちろんそれは裏返しで工についても言える。自分が偶然にも直接の引き金となってしまった心情は理解出来るが、これも工が自分の中で処理すべき問題であって、栞に許しを乞うこと自体がおかしいのだ。謝罪に関連することはこのブログの他の記事でも書いているけれど、まず謝罪が必要だという発想そのものがおかしいのであり、それを当然の発想として助長するような映画は迷惑だ。そのような発想法を常識として日本人が持っていることが事実だとしても、それは変えていくべきことなはずなのだ。
そんな許すとか許さないとかいった話は別として、この映画で描かれた後半の栞、あるいはその演技では、栞の心はもう完全に工への愛に捕らえられている。だからその後の展開に説得力がない。最後の方での海の場面であれ、旅館での場面であれ、また類似事故に接したときでさえ、あるいは駅のホームであれ、工が無理矢理にでも栞をきつく抱きしめてしまえば話は終わり。そういうお話だ。だから別の言い方をすれば、腫れ物に触るがごとくおどおどしているだけで、女の心の機微を解さない不甲斐ない工ゆえに幸福を取り逃したカップルの物語と言えるのかも知れない。
映画度:★★/5*
*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。
2013.08.06
ラッコのチャーリー
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