ボクは二千円札が好きなのだけれど、それはちょっとひねくれ者だからかも知れません。二千円札が普及しない理由について色々と言われるけれど、その原因は二千円札が既に出来上がっている「1」と「5」の文化を乱す者として日本人が嫌っているからだと思っています。1円、5円、10円、50円……、5000円、10000円という従来の硬貨や紙幣の場合、ある金額に関しての「正しい」組合せは一つしかありません。¥27,689の場合なら
一万円札………2枚
五千円札………1枚
千円札…………2枚
五百円玉………1枚
百円玉…………1枚
五十円玉………1枚
十円玉…………3枚
五円玉…………1枚
一円玉…………4枚。
まあこれは整然としていてたしかに美しいかも知れません。
お店で買物をして¥6,000のおつりをもらうとき、五千円札1枚と千円札1枚が普通きます。たまたま五千円札がレジになく、千円札を6枚を渡さなければならなくなったとき、店員は「すみません、今五千円札を切らしてまして…。」とすまなそうにします。あるいは五千円札が不足気味のときには、「今五千円札が不足しているのですが、千円札6枚でもよろしいでしょうか?。」とかなんとか訊いてきます。
でもヨーロッパなどでは60ユーロおつりのとき50ユーロ札はなしで10ユーロ札6枚を平気で渡してきます。ユーロの場合は20ユーロ札もあるのでそれを3枚とか、20ユーロ札1枚と10ユーロ札4枚とか、はては20ユーロ札1枚と10ユーロ札2枚と5ユーロ札4枚とかまでありです。文ではわかりにくいので数字で書くと以下のようになります。
60=(50×1)+(10×1)
60=(10×6)
60=(20×3)
60=(20×1)+(10×4)
60=(20×1)+(10×2)+(5×4)
最後の組合せなどどうでしょうか?。日本で仮に6千円のおつりに、
二千円札………1枚(2000)
千円札…………2枚(1000×2)
五百円玉………4枚(500×4)
と店員が出したら文句をつけるお客さんもいると思います。まあこのケースでは札だけでななく硬貨がまざってしまっていますが、同じ硬貨どうしでも、700円のおつりに、
百円玉…………5枚(100×5)
五十円玉………3枚(50×3)
十円玉…………5枚(10×5)
とか
五百円玉………1枚(500)
百円玉…………1枚(100)
五十円玉………2枚(50×2)
ではお客さんは怒ってしまいます。700円という金額の作り方は、
五百円玉………1枚(500)
百円玉…………2枚(100×2)
が唯一「正しい」やり方であり、それ以外はやむを得ない場合の代替処置なわけです。
「1」と「5」の文化では、この「正しい」組合せはどんな金額についても一つしかありません。だから更なる高額紙幣についても検討されているのは二万円札ではなく五万円札です。でもそこに秩序を乱す者として二千円札が乱入してきたらどうなるでしょう?。8千円を作る「正しい」組合せとはなんでしょう?。従来の
五千円札………1枚(5000)
千円札…………3枚(1000×3)
が「正しい」のか、それとも
五千円札………1枚(5000)
二千円札………1枚(2000)
千円札…………1枚(1000)
とすべきなのか?。4千円なら
千円札…………4枚(1000×4)
ではなく
二千円札………2枚(2000×2)
なのか?。
どんな紙幣や硬貨の組合せでも実質は同じです。その同じ実質に加えて「形」をも重視するのが日本的美意識なのかも知れません。なので二千円札2枚による4000円はまだしも、二千円札1枚と千円札2枚による4000円は、異質な物が混ざるので気持ちが良くないわけです。あるいは美意識だけではなく、頭を使う(計算する)という意味で唯一の組合せしかなく、慣れているのでほとんど考えなくてもある金額のための組合せが即座にわかる「1」「5」システムが便利で、
五千円札………1枚(5000)
二千円札………3枚(2000×3)
による1万1千円はちょっと考えなければならないのでおっくうなのかも知れません。
二千円札が普及しない原因は日本の文化は奇数の文化だからだと言う人もいますが、仮に二千円ではなく三千円札ができても普及はしないと思います。二千円札のフリーメイソン説を云々する人もいますが、その真偽はともかくとして、そんなことを考えて二千円札を使わないなどという人はほとんどいないと思います。「正しく」ない組合せに関しては枚数が増えてしまうという人もいて、なるほど6千円は「正しい」組合せでは紙幣2枚なのに対して千円札ばかりでは6枚になってしまいます。でも4千円ではどうでしょうか?。千円札ばかりだと4枚ですが、二千円札があれば2枚で済みます。9千円だって二千円札を使えば5枚ではなく3枚で済みます。
実質に加えて形も重視すると上に書きました。そういう「整然」を好む日本人の美意識は、それはそれで良い面もあると思います。日本製品のある種の品質の良さだってこのこととは無関係ではないでしょう。でもマイナス面として捉えると、体裁にこだわり過ぎるということにもなります。贈答品の過剰包装では箱入りのセットとして見た目(形)はよいけれど、お中元やお歳暮の5千円のギフトセットの中味の実質はスーパーで買ったら2千円もないとか(実質)。装飾というのはもちろん重要で、否定するどころか肯定する自分ではあります。でも4千円の実質に1千円の装飾ならよいけれど、装飾(3千円)が実質(2千円)を越えてしまっているというのはやはり本末転倒だと思います。
冒頭に「自分はひねくれ者だから二千円札が好きだ。」と書きました。つまり現在の日本の文化の中で「悪しきもの」とは言わないけれど「ボクの嫌いな面」(この中には自分の頭を使うことをおっくうがる傾向や、人間関係を上下のみで対等で捉えようとしないなんてことも含まれます)と、この二千円札の普及しないことはどこかで深く結びついているように思えてなりません。なのでボクが二千円札に託す思いというのは一種のプロテストなわけで、現状を素直に受け入れないという意味でひねくれ者なわけです。
今サッカー・ワールドカップの最中なのでついでに言うと、日本人は元来「野球的」人間であって「サッカー的」人間ではないと思います。野球というのは例えば守備ではショートならショートとして役割がほとんど決まっていて、それをこなすだけです。しかしサッカーというのは11名中10名の選手(もしかしたらゴールキーパーを含めた11名全員)が誰も状況に応じて何でもしなければならないというゲームなのです。一応は決められたポジションがあり、作戦も決まっているでしょう。でもその時の全体の中における自分を、独りよがりでなく的確に判断して行動することが求められるゲームなのです。そういうことが日本人は不得手なのだと思います。だからまだある程度以上には日本チームは強くなれていません。これはサッカーというゲームのことではありますが、その背景にはあるのは一般社会での習慣・秩序でしょう。決められた枠を越えて行動すると、仮に結果が良くても非難の対象となってしまう社会です。結果的に見た「実質」よりも決められた「形」が重視されます。これは政治にも、職場にも、プライベートにも見られます。9000円を作る組合せとして、5000円札と1000円札4枚という唯一「正しく」「美しい」「形」にこだわるのではなく、2000円札3枚と1000円札3枚でも「実質」同じではないかという柔軟性あるいは度量も必要ではなかと思います。
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