2013/05/19

映画『ホーリー・モーターズ』を見ながら




レオス・カラックスの13年ぶりの新作(長編)が桜坂劇場で3週間にわたって上映され、自分は初日、最終日と二度観ました。久々に見る映画力の強い作品でした。作品自体に関するレビューは、気が向いたら別に書くつもりですが、ここではちょっと思った別のことを書きます。

ヘアヌードやら、無修正やらと言われるようになって久しく、最近は映画(や写真)で女性のアンダーヘアのボカシやモザイクは見られなくなりました。余談ではありますが映画がフィルム上映だったむかし、映画での人体の性的部分へのボカシがどういう技術的処理でなされていたかは良く知りませんが、ボカシが入ると当該部分だけではなく画面全体の色調が変わってしまうのが著しく不快でした。そんな意味では最近のボカシはもっとスマートになされていて、良く見ていないと気付かないこともあるほどです。

Glissements progressifs du plaisir

ところであれはいつのことだったか、まだ学生の頃だから70年代末くらいで、ヘアヌード解禁などといわれるより以前のこと、アテネフランセでアラン・ロブ=グリエの監督作品特集が組まれたことがありました。その中で例えば『快楽の漸進的横滑り』(Glissements progressifs du plaisir, 1974)は、フランス大使館かどこかの提供プリントで、字幕も入っていなかったか英語字幕で、映像も無修正でした。

Le jeu avec le feu

最終日に上映されたのは『危険な戯れ』(Le jeu avec le feu, 1975)。この作品には前年1974年に女性向きソフトコア・ポルノとして大ヒットした『エマニエル夫人』の主演女優シルヴィア・クリステルが出ていて、日本の配給会社が二匹目のドジョウを狙って劇場公開を計画。しかし一見エロティックな映画ではあるものの、ロブ=グリエとしては『エマニエル夫人』のイメージを持つシルヴィア・クリステルをそのイメージとして用いただけで、公開したところで絶対に一般ウケするような作品ではありません。普通の映画観客にとってはわけのわからない、難解、チンプンカンプンな、前衛・芸術映画でしょう(しかし2011年には無修正ニューマスターDVDが50頁余りの詳細なブックレット入りで紀伊國屋書店から発売されています!!)。なので公開に至らずお蔵入りした作品なのですが、この夜アテネフランセで上映されたのはそのお蔵入りプリントで、日本語字幕入り&ヘアにはボカシでした。

Emmanuelle

この最終日には上映終了後に監督のロブ=グリエ氏の挨拶(講演)と観客との討議が催されました。氏も客席で観られていたのですが、彼が話したことで印象に残ったことがあります。それはボカシの問題についてでした。それは、性的な表現に対する検閲というのはある一つのイデオロギーからなされるものであり、共産国家や独裁国家で政治的に反体制的であるものに対してなされる検閲とまったく変わりはないということでした。

今回カラックスの『ホーリー・モーターズ』では、エヴァ・メンデスとメルドの地下での挿話で、ドニ・ラヴァンの股間にボカシが入っていました。近年公開される映画では女性のヘアのボカシは無くなりましたが、まだまだ男性の性器は映ることが稀です。記憶しているものではポール・バーホーベンの『ブラックブック』(2006)でたしかナチス将校のが映っていたような気がします。『ホーリー・モーターズ』のこのシーンはいわゆる性交シーンではありませんが、メルドの性器がエレクトしているというのは監督が意図したことだというのは確かでしょう。Wikipédiaフランス語版の「Holy Motors」の頁のストーリー要約ではこの部分について「彼(メルド)は勃起した姿で美女の膝に頭を載せ眠りにつき、一方美女は古いアメリカの子守唄を彼に歌いきかせる」とあります。

今回のこのボカシを配給会社がどういう経緯で入れたかは知りません。しかしそれがいかなる意図で入れられたにせよ我々には表現の自由はこの国ではないといことです。聖母マリアとイエスのような図像での子供のようなメルドの姿を見せたいという余計な配慮が配給会社にあったのならば(その方が大多数の観客に対する印象が良いだろうという意味=商業的に有利)、それは原作の改変に他なりません。隅から隅まではまだ読んでいませんがプログラムにもフランス語版Wikipédiaのようにはこのことは書かれていないようです。仮に観客の側にもそういう潜在的要請があるとするならば、すなわちここではメルドの勃起した性器など見たくないということですが、それはカラックスの表現を受け止める用意がないといことです。とにかく、表現者(ここではカラックス監督)が表現したことを、誰かの意図で改変・削除されることなくその表現のままで見られるようになって欲しいと思います。長尺の作品をカットして、例えば150分の作品を120分に短縮して公開することは、これも嬉しいことではありませんが商業上必要な場合もあるかも知れません。しかしボカシというのは時間的短縮ではなく内容的改変です。

ちなみに現在はインターネットの時代。Googleの画像検索を「Holy Motors」と欧文ですればこのシーンの静止画像が見つかります。また現時点ではYouTubeでこのメルドの挿話の全体が無修正で見られます。興味のある方はそれらをご覧下さい。






2013.05.19   
ラッコのチャーリー

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