2013/05/23

日本語についてちょっと




ハネケの『愛、アムール』の予告編を見ながら感じたことを書いた中で、娘が父親相手に話すときのフランス語の vous を「あなたたち」ではなく「お父さんとお母さん」と訳した。それを書いたとき、実は自分の中には日本語とフランス語の色々な相違点に関しての思いが過っていた。あまりに脱線し、長くなるので書かなかったのだけれど、そのことについて書いてみたい。

ちょっと自分の若き日のことを書かせていただくなら、高2や高3の頃、受験勉強はそっちのけで、森有正とプルーストばかり読んでいた。受験勉強が特に嫌いだったわけではないのだけれど、それよりこの2著者の読書の方が楽しかったのだ。森有正は高1か高2の時に現国の教科書で出会い、それ以来次から次へと読み耽った。森有正の文章の中に例えばトマス・ア・ケンピスの『キリストのまねび』が出てくればその岩波文庫版を買ってきて読む…と言った具合で、自分の思想形成の根本には森有正がある。

さてそんな森有正なのだけれど、彼がどこかに「日本語は西洋語的な意味での言語ではない」というようなことを書いていた。正確な文章は憶えていないけれど、もちろん今も所有している森氏の本を探せばどこかに書かれているはずだ。当時まだ若く、あるいは幼くさえあった自分の理解力ゆえの誤解をしているかも知れない。しかしそんなことはどちらでもよい。自分がどう理解し、それが今の自分の思想となっているかが問題なのだから。森氏は「日本語で『田中さんがいらっしゃいました』と言えるけれど、その『田中さん』を『彼』に置き換えて『彼がいらっしゃいました』とは言えない。」という例をあげる。「いらっしゃる」という尊敬語の動詞は主語として敬意を表す語しか取り得ないという分析も出来るだろう(チョムスキーの生成変形文法的ではどういう解釈になるかちょっと興味もある)。しかし森氏は面白い表現でこの言語的現象を説明する。日本語の「田中さん」というのは西洋語的な意味での「言語」ではなく、「田中さん」と言ったとたんに、実在の人物「田中さん」が「田中さん」という語の中に入ってきてしまう、というような説明だったと記憶している。

ここからはボク自身の解釈に基づいたパラフレーズだ。(英語やフランス語の場合)田中さんが存在したり、その人物が来たという事実があるとき、そのような事象の世界がまず一つあって、それとは別にMr. TanakaであるとかMr. Tanaka was coming.というような言語の世界がある。その2つの世界が、それぞれ一つの円の中に要素を書かれた集合のようなものとして存在し、その2つの世界の要素が写像のように矢印で対応しているというようなものなのだ。つまり事象の世界と言語の世界は別に存在している。そして事象世界の「田中さんが来た」という事象と言語世界の「Mr. Tanaka was coming.」という言語が、対応するものとして矢印で結ばれている。言語世界の中の規則に従って名詞「Mr. Tanaka」は代名詞の「He」に置き換えることが出来るから、「Mr. Tanaka was coming.」も「He was coming.」と置き換えることが出来る。しかし日本語ではこの2つの世界はそれぞれ完全には独立しておらず、互いに干渉をし合っている。だから単に言語世界のルールに従って「田中さん」を「彼」に置き換えることができない。それゆえに「彼がいらっしゃいました」とはならないのだ。つまり尊敬に値するような田中さんという実在の人物が、言語の「田中さん」と重なりあってしまっている。そしてその実在の人物は「彼」という代名詞には重ならない。人物自体が言葉の「田中さん」に入ってきてしまうという森氏の表現はこういうことではないか。

あまりに理屈っぽい表現になってしまったので書き方を変えよう。例えば科学を記述した本のように誰も情緒や人情を期待しない文では「水素は燃焼して水となる」で事足りる。しかしそこに人間が登場すると、2つの意味でやっかいなことが生じる。一つは発話者とその発話内容に登場する人物の関係性であり、もう一つは発話者とその話し相手である聞き手との関係性だ。発話者が平社員ならば「山田部長は出張で大阪にいらしてます」と言うだろうが、発話者が社長なら「山田は出張で大阪にいる」となる。発話者が同じ平社員であっても聞き手が自社ではなく他社の人物なら身内を遜って言うから「山田は出張で大阪に行っております」となる。発話者が同じ副社長であっても、部下には「大阪には山田部長を行かせるつもりだ」と言うだろうけれど、社長相手なら「大阪には山田部長を行かせるつもりです」と語尾が変わってくる。でも英語なら「Mr. Yamada is in Osaka by business trip.」とか「I am going to send Mr. Yamada to Osaka.」などとなり、英語は苦手なので正しくないかも知れないが、要するに誰が誰に言ってもほぼ同じ言葉となる。

これって単に敬語の話じゃないの?。そう、その通り。ふつう敬語と言われるのは尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つだ。しかし自分としては敬語と敬語でない言葉に二分するのではなく、全部をひっくるめて敬語システムと考えたい。つまり尊敬語、謙譲語、丁寧語以外の言葉は「ゼロ敬語」とでも呼べ、敬語のシステムの一端を担っている。もちろんゼロ尊敬語、ゼロ謙譲語、ゼロ丁寧語という細分も可能だ。「田中さんがいらっしゃいました」は尊敬語+丁寧語。「田中さんがいらっしゃった」は尊敬語+ゼロ丁寧語。「田中が来た」はゼロ尊敬語+ゼロ丁寧語。「田中が来ました」はゼロ尊敬語+丁寧語。「田中さんにいただきました」は謙譲語+丁寧語。「田中にもらいました」はゼロ謙譲語+丁寧語…等々。こうして3×裏表2つの計6つの敬語を使い分けることで、発話者と田中氏との関係性や発話者と聞き手の関係性を明確にするのが敬語であり、これから逃れて日本語を使うことはほぼ不可能だ。この「逃れられない」という点を忘れないでいただきたい。

「お客様が昨日(サクジツ)お求めになられたこの本は…」というのと「お前がきのう買ってきたこの本は…」というのではずいぶんと印象が違う。例えばたぶん前者は書店に問い合わせにきた客に対する店員の言葉で、後者は親が子供に言う言葉だろう。でも英語にしてしまえばどちらも「The book which you bought yesterday...」になってしまう。それは「あなたがきのう買った本は…」でもいいけれど、とにかくどれかを選ばなければ発話出来ないのが日本語で、発話したその瞬間に敬語システムに従属させられてしまう。「逃れられない」と言ったのそういう意味だ。

これは実に面倒な事態ではないだろうか。学生の何人かが教師に不満があって話しに行ったとする。学生が教師に向かって「お前はこれが正しいと思ってるのかよ」とは普通言えない(昨今はこういうのもあるかも知れないが)。くだけてみても「先生はこれが正しいと思ってるんですか」ぐらいだろうか。これに対する教師は「君たちはそう言うが…」となる。立場が逆なら教師は「君らはこれが正しいと思っているのか」で、学生は「先生はそうおっしゃいますが…」となる。英語ならどちらの場合も「Do you think that this is right?」と「Although you say so...」で同じになるのではないか。それが日本語ではどちらのケースでも言語的に教師の方が学生より優位にある。たとえ学生と教師の間であっても、教師の方が間違っていれば学生が教師に文句を言うのは当然のことだ。それなのに教師の側は言語の敬語システムによって守られ、学生は不利な立場に置かれてしまう。あるいは逆の立場の例なら、教師の理不尽な言いがかりであっても、敬語システムによって教師に権威が与えられてしまう。

ではそうした社会や制度のあり方とそれを支える言語はどちらが先にあるかと言えば、もともとは制度があって言葉が出来たのだろうけれど、共時的に現在の状況で考えるならば、社会があってそれ合った言語が使われるだけではなく、同時にそうした言語が社会の維持に手を貸し、変化を困難なものにしている。高校の時の古文の教師は敬語が日本語にしかないことを日本人として誇りにしていたけれど、この言語システムは平安時代とかにできたもの、つまり千年以上前の社会に適合して出来たものであり、その「逃れられない」という性格ゆえにあるべき変化を阻害しているとしたら、はたして誇りになどして良いのだろうか。

総理記者会見というのがある。もう10年以上もテレビは見ない自分なので昨今の状況は知らないから、以下は自分の知っている15年前の状況の話ではある。総理記者会見に外国人記者は出席できない。外国人記者相手の記者会見は別に行われる。これは日本独自の制度だ。父はパリで日本のある報道機関の代表だったので、フランス政府だかどこだかの発行した正式な記者証を持っていて、フランス人やその他の国々の記者と一緒にド・ゴール大統領の記者会見にも出席できた。しかしニューヨーク・タイムズの記者もル・モンドの記者も日本の総理大臣の記者会見には出席できない。それは彼ら外国人記者が日本語ができないからではない。彼らの中には実に流暢な日本語を話す人もいる。

思うにそれは教師と学生の会見と同じなのだ。記者は「総理は・・・とお考えですか?」と尊敬語+丁寧語で質問する。そのような言葉遣いをすることから記者は「逃れられない」。結果として記者に対して優位・権威を持つ総理という関係性が構築(確認)されてしまう。ここにもし外国人記者がいたとすると、なるほど外国人記者も同じように尊敬語を使うことから逃れられないかも知れないが、もともと心性は英語なりフランス語だから、総理の優位に気がねして質問の内容をはばかることなどしない。記者に対する優位による甘え、あるいは総理と記者のある種のなれ合い、そうした総理の側に有利な状況が壊されることになってしまう。だから日本語(敬語システム)はこのような状況(制度)の維持を担っているわけだ。総理も日本人記者も英語がぺらぺらで、記者会見を英語でやったら、記者の質問の内容は日本語のときとは相当に変わってくることだろう。教師と学生、お客と店員、上司と部下、親と子、夫と妻、その他その他すべての人間関係あり方も同じだ。

さて最初のきっかけであったハネケの『愛、アムール』に戻ろう。娘が父親を相手に話すとき、父親と母親のことを指すのにフランス語の vous を「あなたたち」ではなく「お父さんとお母さん」と訳した。「あなたたち」でも意味は通じるけれど、普通こういう言い方はしないのだ。でも「お父さんとお母さん」と言ったとき、娘の親に対する敬意とまでは必ずしも言わないけれど、情緒的な親子の感情が言葉の中に入ってしまう。だから娘が親を客観視して感想を述べることにならない。もし「あなたたち」と親に向かって言ったら、なんて冷たい言い方をするのだろうと感じる人もいるだろう。冷たい、つまりは情緒を省いた客観性であり、対等性なのだ。ただ子供が親に向かって「お父さんは・・」ではなく「あなたはそういう親だったんです」と言えば、今現在の言語感覚では客観性・対等性を通り越して非難のニュアンスが込められてしまうのではないだろうか。


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2013.05.23   
ラッコのチャーリー

2013/05/20

赤信号を確認して道路を横断




昔、むかし、アテネフランセに小学生ながら通っていた頃、ペレ先生という方がおられました。調べてみるとフルネームはジャン=バティスト・ペレ(Jean-Baptiste Perret)先生で、今もご健在。エコール・プリモで教鞭をとられていらっしゃいます(同校のサイトにプロフィールが紹介されていますhttp://ecole.primots.com/teacher/index.html)。当時はもちろんまだお若く、学生に対してはなかなかの毒舌家で、意地悪なことを学生に言われることも多かった。それはもちろん悪意からではなく、そういうスタンス、スタイルだっただけで、たいへん良い先生でした。

そのペレ先生があるとき、どんなコンテクストだったかは憶えていないのですが、日本人とフランス人の歩行者の道路横断の仕方についてこんなことをおっしゃいました。「日本人は信号が青で道を渡るけれど、フランス人は赤で渡る。」ペレ先生はこの観察結果をお話しになっただけで、特にコメントはされませんでしたが、ここにはフランス人と日本人の実に深い行動様式の差が表れていると私は思っています。

「赤で渡る」というのは "車が来ていなければ" 「赤でも渡る」ということではない。これも日仏の差であり、これから書こうとしていることと無関係ではないが、そのことはまた後で触れる。現在は歩行者用の信号機やら、時差式信号機、右折の矢印、スクランブル交差点など、信号のスタイルも多様化したけれど、むかしは縦が青なら横は赤という単純な3色信号機がほとんどだった。そんな信号機のある交差点で道路を横断するとき、日本人は自分が進む方向の信号が「青」であることを確認して道を渡り、フランス人は自分が進む方向と交差する横向きの信号が「赤」なのを確認して道を渡るということだ。縦が青なら横は赤だから、状況としては日本人の行動もフランス人の行動も同じである。だから問題はその心性、判断の仕方の違いにある。

自分の進む方向の信号が青のときに横断するというのの背景には、システムへの信頼、あるいは交通マナーやその背後にある公安委員会や法に対する服従があり、いずれにせよ「自分の主体的判断」の欠如がある。では交差方向の信号が赤で渡るというのは何か。道路を渡るには横から来て自分を轢く車がいないことを確認するべきであり、横の信号機が赤なら車は止まるから安全であり、だから横断する。その行動の背後にあるのは「自分の主体的判断」なのだ。さっきも書いたようにどちらも状況として同じなのだけれど、だからと言って決して些細な差ではない。本質的な差異がここにはある。

そしてもちろん自分の判断で車が来ていないことを確認して渡るのだから、自分の進む方向の信号が青でも赤でも関係ないわけで、だから車さえ来ていなければ(進む方向の信号が)赤でも平気で道路を横断する。日本でも昨今は信号が赤でも道路を平気で渡る人が(自分を含め)増えたけれど、それをすると批判がましい目で見ている人は今でもかなりいる。それも当然。制度に対する不服従だから悪いこととして非難の対象になるわけだ。

今日こんなことを書こうとしたのには2つの理由があった。理由と言ってもこのブログのタイトルに「独り言」とあるように、感じたことを軽いノリで書いているにすぎないが。

一つ目は少し前に閉鎖・解体された久茂地公民館や、来年に迫る久茂地小学校の廃校・前島小学校との統合に対する反対運動に関してだ。こういう住民による反対運動はどこの世界にもあるだろうし、その反対が成果を得ることは稀なのかも知れない。そして例外的なケースとして日本でもこうした反対運動が実を結ぶ場合があることも知ってはいる。しかし大抵の場合は反対運動自体がマイナーな(つまり少数の人々の)行動であり、それが成功することは非常に稀だ。実際に実を結ばないまでも社会の(ある程度以上多数の市民の)真剣な議論の対象となることすら稀な気がする。

ブッシュ vs ゴアの米国大統領選挙などと比べれば、日本の選挙は、小選挙区制がどうの、一票の格差がどうのということではなく、定められた規定通りに選挙が実施されているという意味でははるかに公正だろう(アメリカの選挙には選挙監視団を送るべきかも--笑--)。しかし大多数の選挙民、つまりは市民・国民は、選んだら任せっきりにするという態度が主流なのではないだろうか?。それは官僚、つまり役人に対する意識も同じだ。一人ひとりの市民が自分の政治意識(あるいは自分の属する集団や階層や地方の利益)を実現してくれる代理人として政治家を選ぶ(役所に権限を与える)という意識(実践)が希薄なような気がする。だから反対運動をするはずの市民にも、それを受ける政治家や役人も、任せた以上任せっきり、任せられたからには好きにするという体質がある。つまり反対運動自体が市民の側から言えばあるはずのないことであり(なぜなら任せたのだから)、役所や政治家の側から見れば、反対運動があったからと言って決定をくつがえすというシステムは最初からないのだ。これはすなわち信号を赤で渡るか青で渡るかと同じ構図に、自分には見えて仕方がない。判断の主体が自分にあるとするか、それとも信号という権威に委ねて従うかということの差だ。

もう一つは、上に書いたこととは趣旨的には直接は関係ないことだけれど、道路の横断についてふだん不愉快に感じていること。ほぼ毎日だから週に10回とか15回とか横断する道路がある。一つの道路の上下線なのだけれど、上にモノレールの走る久茂地川を間に挟んでいるので、道路を渡るときはまず右からだけ車の来る一方通行の2車線道路を横断し、川の上に架かる橋(道路より広い)を渡ってから今度は左からだけ車の来る一方通行の2車線道路を横断することになる。橋は歩行者専用だから交差する車道はない。

曜日や時間帯にもよるのだけれど、ちょっと待つと車はまったく来ない状況となる。だから自分は歩行者用の押しボタン式信号のボタンをまず押さない。車が切れるのを待って横断する。車が切れそうにないとボタンを押すことも稀にあるが、そのときは信号が変わって歩行者用の信号が青になるのを待ってから渡る。仮に車が切れてもボタンを押した「責任上」、信号が変わるのを必ず待つ。ところがこういう人はまずいない。自分と同じようにボタンを押さない人は2割ぐらいいるが、その人も車が切れそうにないとボタンを押し、仮に信号が変わる前に車が切れると道路を横断してしまう。1割ぐらいの人は、これが正統派なのだろうけれど、押しボタンを押し、車が切れるとかに関係なく信号が変わるのを待ってから渡る。残りの7割ぐらいの人の行動は実に不快だ。車が来ているかどうかなどを見ることもせずに「まず」ボタンを押す。それから車の流れを見て車が来ていなければ道路を渡る。だからそんな人が渡り終わっていなくなってから車道の信号は赤に変わり、車は誰も横断者がいないのにいたずらに停止させられることになる。





2013.05.20   
ラッコのチャーリー


2013/05/19

映画『ホーリー・モーターズ』を見ながら




レオス・カラックスの13年ぶりの新作(長編)が桜坂劇場で3週間にわたって上映され、自分は初日、最終日と二度観ました。久々に見る映画力の強い作品でした。作品自体に関するレビューは、気が向いたら別に書くつもりですが、ここではちょっと思った別のことを書きます。

ヘアヌードやら、無修正やらと言われるようになって久しく、最近は映画(や写真)で女性のアンダーヘアのボカシやモザイクは見られなくなりました。余談ではありますが映画がフィルム上映だったむかし、映画での人体の性的部分へのボカシがどういう技術的処理でなされていたかは良く知りませんが、ボカシが入ると当該部分だけではなく画面全体の色調が変わってしまうのが著しく不快でした。そんな意味では最近のボカシはもっとスマートになされていて、良く見ていないと気付かないこともあるほどです。

Glissements progressifs du plaisir

ところであれはいつのことだったか、まだ学生の頃だから70年代末くらいで、ヘアヌード解禁などといわれるより以前のこと、アテネフランセでアラン・ロブ=グリエの監督作品特集が組まれたことがありました。その中で例えば『快楽の漸進的横滑り』(Glissements progressifs du plaisir, 1974)は、フランス大使館かどこかの提供プリントで、字幕も入っていなかったか英語字幕で、映像も無修正でした。

Le jeu avec le feu

最終日に上映されたのは『危険な戯れ』(Le jeu avec le feu, 1975)。この作品には前年1974年に女性向きソフトコア・ポルノとして大ヒットした『エマニエル夫人』の主演女優シルヴィア・クリステルが出ていて、日本の配給会社が二匹目のドジョウを狙って劇場公開を計画。しかし一見エロティックな映画ではあるものの、ロブ=グリエとしては『エマニエル夫人』のイメージを持つシルヴィア・クリステルをそのイメージとして用いただけで、公開したところで絶対に一般ウケするような作品ではありません。普通の映画観客にとってはわけのわからない、難解、チンプンカンプンな、前衛・芸術映画でしょう(しかし2011年には無修正ニューマスターDVDが50頁余りの詳細なブックレット入りで紀伊國屋書店から発売されています!!)。なので公開に至らずお蔵入りした作品なのですが、この夜アテネフランセで上映されたのはそのお蔵入りプリントで、日本語字幕入り&ヘアにはボカシでした。

Emmanuelle

この最終日には上映終了後に監督のロブ=グリエ氏の挨拶(講演)と観客との討議が催されました。氏も客席で観られていたのですが、彼が話したことで印象に残ったことがあります。それはボカシの問題についてでした。それは、性的な表現に対する検閲というのはある一つのイデオロギーからなされるものであり、共産国家や独裁国家で政治的に反体制的であるものに対してなされる検閲とまったく変わりはないということでした。

今回カラックスの『ホーリー・モーターズ』では、エヴァ・メンデスとメルドの地下での挿話で、ドニ・ラヴァンの股間にボカシが入っていました。近年公開される映画では女性のヘアのボカシは無くなりましたが、まだまだ男性の性器は映ることが稀です。記憶しているものではポール・バーホーベンの『ブラックブック』(2006)でたしかナチス将校のが映っていたような気がします。『ホーリー・モーターズ』のこのシーンはいわゆる性交シーンではありませんが、メルドの性器がエレクトしているというのは監督が意図したことだというのは確かでしょう。Wikipédiaフランス語版の「Holy Motors」の頁のストーリー要約ではこの部分について「彼(メルド)は勃起した姿で美女の膝に頭を載せ眠りにつき、一方美女は古いアメリカの子守唄を彼に歌いきかせる」とあります。

今回のこのボカシを配給会社がどういう経緯で入れたかは知りません。しかしそれがいかなる意図で入れられたにせよ我々には表現の自由はこの国ではないといことです。聖母マリアとイエスのような図像での子供のようなメルドの姿を見せたいという余計な配慮が配給会社にあったのならば(その方が大多数の観客に対する印象が良いだろうという意味=商業的に有利)、それは原作の改変に他なりません。隅から隅まではまだ読んでいませんがプログラムにもフランス語版Wikipédiaのようにはこのことは書かれていないようです。仮に観客の側にもそういう潜在的要請があるとするならば、すなわちここではメルドの勃起した性器など見たくないということですが、それはカラックスの表現を受け止める用意がないといことです。とにかく、表現者(ここではカラックス監督)が表現したことを、誰かの意図で改変・削除されることなくその表現のままで見られるようになって欲しいと思います。長尺の作品をカットして、例えば150分の作品を120分に短縮して公開することは、これも嬉しいことではありませんが商業上必要な場合もあるかも知れません。しかしボカシというのは時間的短縮ではなく内容的改変です。

ちなみに現在はインターネットの時代。Googleの画像検索を「Holy Motors」と欧文ですればこのシーンの静止画像が見つかります。また現時点ではYouTubeでこのメルドの挿話の全体が無修正で見られます。興味のある方はそれらをご覧下さい。






2013.05.19   
ラッコのチャーリー