2014/08/31

ラース・フォン・トリアーの Le Direktør



Il y a une brève critique en français sous le texte en japonais.





原題 Titre original : Direktøren for det hele
英語題 English title : The Boss ot It All
Écrit et réalisé par Lars von Trier
Prise de vue : Automavision
Avec:Jens Albinus, Peter Gantzler, Friðrik Þór Friðriksson, Benedikt Erlingsson, Mia Lyhne, Iben Hjejle, Louise Mieritz, Jean-Marc Barr
2006 Danemark / color 99min (ratio 1,85)

監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:オートマヴィジョン
出演:イェンス・アルビヌス、ピーター・ガンツェラー、フリドリック・トール・フリドリクソン、ベネディクト・エルリングソン、ミーア・リューネ、イーベン・ヤイレ、ルイーズ・ミエリッツ、ジャン=マルク・バール


2014.08.27 仏盤DVD


ラース・フォン・トリアーで最初に観たのは『ドッグヴィル』。そしていつの間にやら彼のほとんどの作品のDVDを所有するに至ってしまった。映画において「好き」というのはどういうことかよくわからないけれど、どうやら自分はこのデンマーク人 "変態" 映画監督が好きらしい。これまでに映画館やDVDで観た彼の作品は『エレメント・オブ・クライム』『エピデミック』『メディア』『ヨーロッパ』『キングダム』『奇跡の海』『イディオッツ』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ドッグヴィル』『マンダレイ』『アンチクライスト』(鑑賞順ではなく制作順)。抜けているのは『ラース・フォン・トリアーの5つの挑戦』と "コメディー" と称されたこの『Direktøren for det hele』ぐらいだろうか。そして近作であり、メジャーな作品なのに観ていなかったのが『メランコリア』。最新作の『NYMPH()MANIAC』(ニンフォマニアック)を観るにあたり、ある理由(予測)から避けていた『メランコリア』もDVDで観た(予測は的中したのだけれど、そのことはもし『メランコリア』のレビューを書く機会があったらそのときに書くつもり)。


日本ではたぶん劇場公開もDVDリリースもないので日本語のタイトルもないこの作品。いちおう「すべての決定権をもつ社長」とでも訳しておくけれど、英語のタイトルは『The Boss ot It All』で、"Direktøren" を "Boss" としたのがやや意訳ながらほぼデンマーク語原題の直訳。なんだかわけのわからないタイトルなのだけれど、ここでの "Direktøren" は「社長」とか「経営者」とか「支配する人」ぐらいの意味で、"of It All" の部分も映画を観ているとわかってくる。舞台はデンマークにある小さなIT会社。実際に社長や経営者の姿を社員に見せてしまうと社員に不都合な決定や方針を提示するという悪役を引き受けなければならないので、アメリカにいるという架空の経営者を作り、自分自身表面上は雇われ社員の一人を演じているのが実は本当の経営者であるラウン。これまではそれで上手くいっていた。ラウンは想定の社長スヴェン・E名義で女性社員リーズにラウンに優しくするようにとメールを送ったり、別の女性社員ハイディ・Aには結婚を持ちかけるなどして、これら社員を上手く懐柔したりもしていた。そして結果としてラウンは優しいラウンとして社員に好かれていた。ところが今ラウンはフィンランド人の企業家とある大きな契約を結ぼうとしているのだが、相手方のフィンランド企業家が社長自らと直接会って契約を交わしたいと要求してきたので困ってしまう。ラウンは売れない舞台役者のクリストファーを雇って実の経営者ということにしているスヴェン・E(エカースベルク)を演じさせることにする。ラウンの計画ではクリストファー演ずる社長はフィンランド企業家にだけ会わせて他の社員には見られないようにするつもりだったが、運悪く他の社員に見られてしまう。詳しい事情、つまり悪役としての社長であることはクリストファーは知らされていなかったから、ごく普通にそれら社員と接してしまう。しかしやがてラウンが会社をフィンランド人に売却しようとしていること、その際にラウン以外の社員は解雇されること、共有の知的財産である "Brooker 5" なるソフトか何かの特許はラウン一人のものとすること、あるいは女性社員メッテの夫が以前解雇されラウンは取り持ちをしようとしたけれど社長が拒否した結果メッテの夫は自殺したこと等々、クリストファーは人がいいと思っていたラウンの実の姿を知るようになり、また自分が社員の嫌われ者を演じていることを知るに至るのだけれど、ラウンとの契約に守秘義務があるので真実を明かすことはできない。そして……。


これ以上のストーリーの種明かしはしないでおく。ところでいつも色々と新しい奇抜な手法を用いるフォン・トリアー監督。ドグマもそうだったし、『ドッグヴィル』では長時間主要役者に役になり切る、あるいは役の人物としてものを考え、感じることを要求し、役者たちに精神的に大きな負担を強いた。たとえばグレース(ニコール・キッドマン)がチャック(ステラン・スカルスガルド)に家でレイプされるシーン。普通の映画ならばスタジオのセットなりロケでの家屋のチャックとヴェラの家で撮影が行われ、基本的にキッドマンとスカルスガルド以外の役者はその場に立ち会っていないだろう。しかしここでは家と言ってもチョークで床に引かれた白線で示されただけの壁のない家であり、他の役者はそれぞれやはり壁のない家の中や道路にいて日常生活をおくっていて、グレースに起っていることに立ち会っているのだ。

Dogville

そしてこの『Direktøren for det hele』では上にも示したように撮影はオートマヴィジョン(Automavision)なるカメラによる。フォン・トリアーは例えば『ドッグヴィル』や『マンダレイ』で自らカメラを担いで撮影した。

Manderlay

彼の言うところによれば、彼はロジック、理論・理屈を重視する。カメラを担いで撮影することは、監督自らが観客の視線になるというロジックがある。でもフレーミング(構図)自体は特にロジカルではない。だからフレーミングはコンピューターの制御に任せてしまおうといのがこのオートマヴィジョンなるものだ。とは言ってもすべてコンピューター任せでは全く的を外れたフレーミングになってしまうので、パノラマ、トラベリング、アップと引き、露出(明るさのコントロール)、レンズの焦点距離(ズーム)、カメラ設置の高さの6つ要素の自由度をあらかじめセットする。例えば左右の振りの角度は5度以内とするとか。

Automavision

たとえば家具職人は、椅子なら椅子をつくるとき、色々な装飾などを排した、単純に座るために座板と背板からなるシンプルな椅子を作ることに魅力を感じるものだと彼は言う。この映画はコメディーらしいのだけれど、フォン・トリアーもシンプルなコメディーを撮りたかったと言う。映画学校時代にある教官がルビッチの『桃色の店』(1940)が最も完璧なコメディーだと言った。そして "最も" ではないけれどトリアーもこの作品が好きだという。彼がいちばん好きなコメディーは(この時点で)キューカーの『フィラデルフィア物語』(1940)らしい。いずれにせよ固定カメラが多いのだけれど、フレーミングは関心の中心に観客の視線を自動的に引くようになっている。ところがオートマヴィジョンではそうはならない。設定で許された自由度の中でコンピューターは関心の中心を画面の隅や、やや画面から外したフレーミングをしてしまう。すると観客はただ作られた映画のやり口に乗って、身を任せているわけにはいかず、自ら画面全体の中から見るべき部分をみつけるという、いわば創造的な鑑賞をしなければならないと言う。

Automavision

本当はカメラの前にマジックミラーを設置して、演ずる役者にカメラが今どこに向いているかがわからないようにしたかったらしい。しかしミラーを据えると透過光があまりに減ってしまい、露出の問題から実現できなかった。すると役者は画面内に写っていたいので上手くフレーミングに入るようにしてしまった。本来は撮影者なり人の作為や意図を排したかったのだけれど、結果として役者の作為が入ってしまった。まあそうは言っても、たしかにこの試みはフレーミングから人為を排するという一つの試みではあったけれど、ラース・フォン・トリアーという人は実は何から何まで自分でコントロールしたいという人だと思う。最新作の『NYMP()MANIAC』はオリジナルが5時間半で、一般公開版は商業的理由から各2時間の2部からなる。監督自身はカットには不賛成(不同意)で、一般公開4時間版の編集はプロデューサーに任せたということになっていて、そのことは2時間×2版の冒頭にテロップで言及されてはいるけれど、実のところこの短縮版の編集はラース自身がやっているのではないかと思われる。だからここでも自動カメラ任せのフレーミングとは言っても、実は監督によって綿密に計算されたものであることに変わりはない。

NYMPH()MANIAC

内容に戻ると、クリストファーは売れない舞台役者だけれど、何年も前に演じたガンビーニなる作者の芝居に心酔している。そこでクリストファーの指向する不条理演劇が映画の内容と絡んでいて、ある意味解り難くもあるけれど、やはり彼お得意の社会批判、資本主義批判、企業体質の批判、演ずることの意味とか、映画とは何かとか、色々がテーマに含まれていて、この一種のスクリューボールコメディーは観ていて飽きない。なんと言っても役者たちの演技が恐ろしいほどに的確。確かに彼の他の作品とはかなり毛色は違うけれど、観ていてほんとうに面白いし、彼の他の作品を理解する助けになる部分も実は多い。劇場公開は望めないにしてもDVDなどのソフトがないのは残念だ。ラース・フォン・トリアーの作品は、嫌う人も理解出来ないと言う人もいるけれど、一方で高く評価する人も少なくない。この監督を考えるにはこの作品はけっこう重要だと思う。この作品はデンマーク語。自分はフランス語字幕のフランス盤で観たけれど、英語字幕のイギリス盤もあり、どちらもPAL盤だけれどリージョン2なので、パソコンでなら簡単に見られる。この監督の映画作法に興味のある方には、英語やフランス語字幕でも鑑賞出来るならオススメだ。




映画度:★★★★★/5*

*註:★5個を満点とした映画度の評価に関しては後日説明の記事をアップする予定(既に一部アップ済み)。簡単に言えばどれだけ映画的な映画であるかということで、作品の良し悪し・好き嫌いとは無関係。



2014.08.31
ラッコのチャーリー


Il y a des gens qui n'aiment pas les films de Lars von Trier. Il y a des gens qui apprécient certains de ses films mais qui disent que ce film « Le Direktør » est un gros navet. Si vous n'aimez pas ses films ou ce film, je ne vous contredis pas; c'est une question de goût; c'est la différence de ce qu'on demande à un film. Cependant regardez et appréciez le jeu des acteurs et actrices dans ce film. Il n'est que sublime. Et ce splendeur ou cette puissance n'est pas seul résultat de talent des acteurs. C'est la force du scénario écrit par LVT, c'est la mise en scène de LVT, et c'est aussi la singularité de prise de vue AUTOMAVISION (le fait qu'il n'y a personne derrière la caméra) qui ont permis aux acteurs de jouer si sublimement. Cela ne prouve déjà pas le génie de ce cinéaste danois? En en achetant le DVD, je suis bien heureux de voir et de revoir et revoir cette comédie burlesque et hilarante avec plein de satire sociale.


Les étoiles indiquées en haut ne signifient pas mon appréciation du film, mais à quel point, à quel degré le film a le caractère ou attrait cinématographique et non télévisuel.


(écrit par racquo)